前も書いたかもしれないんですけど、「人体を正確に描くことに興味はなくて、理想の美少女を手元に顕現させることさえできたらいいと思ってる」ってツイートが流れてきて、あまりに共感できたために俺も俺も俺も……の気持ちになっちゃった……。絵を描きたいという気持ちは昔からあったんですけど、絵が上手くなりたいという欲求はなく「自分の見ている幻覚をできるだけ正確に出力したい」という思いはずっとあるんです。この二つは同じなようで全然同じじゃなくて、「自分が見ている幻覚を相手にも同じように見せられたらいい」という自己満足から成り立っているので、例えば公園を背景に描こうと思ったら「茶色の塊!薄茶色の棒!緑のモサモサ!これさえ描いとけば公園っぽいだろ!」と必要最低限の要素はぐっちゃぐちゃなままで満足してしまうという。普通の人にとって「幻覚の実体化」を目的とするなら100%伝わるように画力向上を目指すのが当たり前なんですけど、自分は「足りない部分は文章(小説)で補足すればええや……」の意識でいる。江國香織だかが言ってたけど、「誰の目にも留まらない花」を描こうとした時、小説家はその一文を入れるだけで十分なのに画家は「誰の目にも留まらない花」そのものを絵として描かなくちゃいけないから大変だ、と言っていてなるほどな~となりました。 2024.1.18(Thu) 13:58:50 日記
絵を描きたいという気持ちは昔からあったんですけど、絵が上手くなりたいという欲求はなく「自分の見ている幻覚をできるだけ正確に出力したい」という思いはずっとあるんです。この二つは同じなようで全然同じじゃなくて、「自分が見ている幻覚を相手にも同じように見せられたらいい」という自己満足から成り立っているので、例えば公園を背景に描こうと思ったら「茶色の塊!薄茶色の棒!緑のモサモサ!これさえ描いとけば公園っぽいだろ!」と必要最低限の要素はぐっちゃぐちゃなままで満足してしまうという。
普通の人にとって「幻覚の実体化」を目的とするなら100%伝わるように画力向上を目指すのが当たり前なんですけど、自分は「足りない部分は文章(小説)で補足すればええや……」の意識でいる。
江國香織だかが言ってたけど、「誰の目にも留まらない花」を描こうとした時、小説家はその一文を入れるだけで十分なのに画家は「誰の目にも留まらない花」そのものを絵として描かなくちゃいけないから大変だ、と言っていてなるほどな~となりました。