遺書代わりの小説10

 その日、あかねちゃんは登校してすぐにランドセルを置く間もなく私の席へ突撃して(ミサイルのような勢いだった)、興奮しきった様子で昨晩見た映画のことについて聞かせてきた。それは彼の両親がレンタルビデオ屋で借りてきたもので、二人とも仕事で家を空けている間にこっそり見たらしい。マイケルという名前の殺人鬼が登場する映画。あまりにも面白かったから、Aちゃんにも聞かせないと「気が済まない」のだと。
 先に断っておくと、今から書くことは当時のあかねちゃんから伝え聞いた話を基にしているため、間違いが含まれている可能性もある。実際、あかねちゃんはその映画のタイトルを「マイケル」だと言っていたが、今調べ直してみたらマイケルではなく「ハロウィン」だった。それくらいの信用度で読んで欲しい。
 あかねちゃんはあらすじから登場人物、見た時に感じた興奮まですべて私に語ってくれた。ローリーという女子高生が主人公で、その実兄であるマイケルが長らく収監されていた精神病棟を抜け出し、彼女を殺害しようとする。そしてその傍ら、巻き込まれた罪のない人たちまでマイケルに殺されていくという内容である。
 授業を挟みながらも、休み時間になるたびに、あかねちゃんは私の席に飛んできて「ハロウィン」について語ってきた。あまりにも熱のこもった口調で、身ぶり手ぶりまでつけて語り続けるので、私までその興奮ぶりが移ってしまった。授業中にまでその熱が続き、当然ながら勉強に身が入らず、その日は一日中ぼんやりとした頭で聞いていた。その日の私にとって、授業とは金曜ロードショーの合間に挟まれるCMと同じくらいどうでもいいものだった(というより普段から、割とぼんやりしている子供でもあった。テストの点がよく、提出物をかかさず出していたために見逃されていたのだと思う)
 昼休みになると、二人で給食室に移動して、その隅に並んで座りお喋りを再開した。給食室は各階の一番端に存在している部屋で、扉などで仕切られているわけではなく、廊下から地続きの場所だった。給食室という名前がついているものの、そこで調理が行われているわけでもなく、すでにできあがった料理が詰められた食缶やライスコンテナなどがアルミラックに置かれており、各組の給食当番がそこから受け取って運んでいくだけの、いわば受け渡し所みたいな場所だった。なので、給食を食べ終わり食器類を返却して昼休みに入ると、そこを通りかかる人はほとんどいなかった。なので、二人きりでおしゃべりするのにうってつけの場所なのだ。窓があるのに昼でもうす暗い、ひんやりとした床。そこに直にお尻をつけて座った。
 映画の中でマイケルは、6歳の頃に実姉を肉切り包丁で刺し殺している。あかねちゃんはそれを「必要な悲劇」だと言った。
「分かるよ」 
 と、私は返した。
「大人になったマイケルにその行動がつながってるんだよね」
 と。あかねちゃんは感極まったように「そう!そうなんやって!」と何度もうなずいていた。おそらく二人とも「行動に一貫性がある」とか「物語の筋が通っている」という意味合いのことを言おうとしたのだろう。あかねちゃんはそれからも語り続けた。ローリーを追いかけ回す、マイケルの異様な執着や、「あまりにやり過ぎて笑ってしまいそうになるくらい」の真に迫った殺人シーンを。血が吹き出たりなんかは控えめだったらしいが、そのせいかマイケルの包丁が被害者の体に「クッ」と沈み込んでいく場面がやけに生々しかったと言っていた。
 相変わらず給食室には誰も訪れず、近くて遠いところで、昼休みの喧騒が聞こえてくるだけだった。けれど一人だけ、そこにやって来た人がいて、それが教頭先生だった。見回りの最中だったのか、ひょいと給食室を覗いて、私たちがいることに驚いていた。
「あっ、せんせえ」
 あかねちゃんは嬉しそうにそう声をあげた。
「混ざる? 映画の話してるんやけど」
 教頭先生は困ったように笑いながらそれを辞退した。当時のあかねちゃんは、やけに教頭先生になついていた。教頭先生側も、なぜだかあかねちゃんのことを気にかけているように見えた。当時、学校にいた先生たちの中でも、一番あかねちゃんと仲良くしていたんじゃないかと思う。

 放課後も、一緒に帰りながらあかねちゃんと映画の話を続けていた。話題の中心は、ほとんど殺人鬼のマイケルに移っていたが。
「マイケルの身長ってどれくらい?」
「そのかぶってる仮面ってどんな形してるの?」
「着てるツナギは青?」
「髪の色はどんなの?」
 そんな風に私はマイケルの見た目について質問した。あかねちゃんは真面目な顔でひとつひとつ答えていく。
「木と同じくらい」
「白くて、顔の前側が全部覆えるくらいで、目の下にはたるみみたいなもんがある」
「黒」
 という風に。私に間違ってイメージが伝わらないよう、真剣に言葉を選んでいるようだった。
 私たちは当時、マイケル以外にも「恐怖の連続殺人犯」と謳われるようなおどろおどろしい人物について知るのが好きだった。ジョン・ゲイシーとかジャック・ザ・リッパーのような。実在か虚構かは問わずに知っていくのが好きだった。その中で、殺人鬼の見た目について、私もあかねちゃんも並々ならぬ情熱を持っていた。彼らは「そうあるべき」見た目をしていなくちゃならない。異常さが滲み出ていなければならないのだ。当時はまだ知らずにいたキャラクターだが、レザーフェイスもフレディもその点では私たちの思い描く理想の殺人鬼だった。
「指は太い?手に血管は浮いてた?」
「太かった。多分親指は、うちの親指と人差し指合わせたくらいやったと思う」
 そして真剣に考え込んだ後に「あー、分からん!見とらんかった!」といかにも悔しそうに言う。私は「ハロウィン」を見ていない。だから私とあかねちゃんの頭の中にあるマイケルの姿はかなりの差があったのだろうが、私たちはその差を埋めたくて仕方がなかった。ストーリーへの感想やマイケルへの印象がこんなにも合致しているのに、お互いに違うものを頭に思い描いてるとしたら? もしそうだとしたら「許せない」とさえ何故か思っていた。
「なんか人んちの庭の、真ん中にマイケルが立ってるんよ。後ろには白いペンキで塗られた家があって、赤い窓枠があって、その周りには木が生えてる。夜だから木の上の方の葉っぱは黒い中に溶け込んでて分からなくなってる。マイケルの白い仮面が空中にぼーっと浮いてるみたいな絵面なん」
 あかねちゃんが映画のワンシーンを必死に説明する。私はそれを、できる限り正確に、その画面そのまんまを頭に描こうと努力する。
 そうしているうちに私の家の前まで着いた。別れる間際になってあかねちゃんは何度も「うちにビデオあるから借りにきて!」と繰り返した。
「絶対に見た方がいい!Aちゃんは絶対に好きになるって!」
 私は頷いた。あかねちゃんはせわしなく振り返り、「借りに来てな!」と手を振った。私はそれを玄関で見送って、彼の姿が小さくなった頃にようやく、彼とは家が反対方向で合ったことに気がついた。つまりあかねちゃんは、「ハロウィン」について語り合うためだけに正反対の場所にある私の家までついてきたらしかった。

 そしてその「ビデオを見る」約束だが、結局果たせないままになってしまった。理由は簡単で、あかねちゃんの母親がビデオ屋さんに返却してしまったからだ。私たちはがっかりした。私が親に借りに行ってとねだっても、きっとしてもらえないだろう。多分だがあれは年齢制限のあるホラー映画のはずだから。あかねちゃんの親も、また借りて欲しいとあかねちゃんがお願いしたって借りてはくれないはずだ。だって、あかねちゃんに見せるために借りたのではなく、そもそもとして大人が気まぐれにレンタルしたものを子供のあかねちゃんが勝手に見ただけなのだ。
「せめてもう一回見たかった」
 あかねちゃんは悔しそうに、本当に悔しそうにそう言っていた。