「ミスラのほうきって、かっこいい見た目ですよね」
深夜、いつものようにミスラの部屋を訪れた賢者は、ベッドサイドの椅子に腰掛けて、ベッドに横たわるミスラと手を繋いでいた。「昨日みたいに一緒に眠ればいいじゃないですか」と誘われたが、この後書類仕事をするつもりだと理由をつけて断った。本当は、仕事なんてそんなに溜まっていなかったけれど、毎日ミスラに添い寝するなんて心臓がいくつあっても足りないというのが賢者の本音だった。
手を繋いで数分は経ったが、ミスラの眠気はまだまだ訪れないらしい。「何か話して下さい」とねだられて、賢者は話の種探しに部屋を見渡した。すると、壁に立てかけられているミスラのほうきに目が留まった。それで冒頭の言葉を口にしたのだ。それを聞いたミスラは、満更でもなさそうな顔をして見せた。
「そうですか?」
「はい。すごく凝っていて素敵だと思います。後ろのところに着けられてる飾りも、朝焼けみたいな色で綺麗ですよ」
「後ろ……。ああ、あの獣の毛を束ねたやつですか」
「えっ、獣って、ああいう色の毛並みをしてるんですか?」
「そうですよ。割と手強い相手でした」
賢者は再度、ほうきに視線を戻した。ほうきの後ろに結びつけられた、青と赤のグラデーションをした飾りを眺める。てっきり、布のように染めた紐の束かと思っていたが、まさか元からああいう色をしていたとは驚きだった。その上、自分で倒した獣の毛を使っているというのも賢者の想像を超えていた。けれど、土着呪術が好きだと言っていたのを思い出すと、確かにミスラらしいと思い直す。ほうきの先端に取り付けられた鳥のドクロのようなものも、野生動物の骨や、古代生物の骨なのだろう。
「あの骨が気になりますか?」
「はい。くちばしみたいな形してますけど、鳥の骨ですか?」
「そうですよ。今度、死の湖に連れて行った時に全身見せてあげます」
「えっ、首から下も残ってるんですか……?」
「ええ。依頼で行った時に見せれば良かったですね」
ほうきについての話は、予想以上に盛り上がった。自分について話すことを厭わないミスラだからかもしれない。彼は人と合わせることを面倒くさがるが、そこに目を瞑れば、割とコミュニケーションを積極的にしてくれる方だと賢者は思っている。ふいに、ミスラが「そうだ」と声を上げた。
「今度、賢者様のほうきを作ってあげましょうか」
「俺の、ですか?」
「俺のほうきと同じくらい、凝ったやつにしてみせますよ」
「ええと……、それはすごく嬉しいんですけど……」
「けど、何です?」
「俺は、魔法使いじゃないから、ほうきには乗れませんよ」
せっかくの好意を無碍にしてしまった気がして、賢者は申し訳なさそうに言った。当たり前だが、賢者は魔力を持っていないのでほうきを乗りこなすことはできない。普通のほうきと同じように、掃除道具として使えという意味かも知れないが、ミスラのほうきと同じくらい凝ったものにされるのなら、それこそ申し訳なくて出来るわけがない。つまり、部屋の装飾くらいしか使い道がなくなってしまうのだ。賢者の反応に、ミスラは訝しげに目を細めた。
「知ってますよ。そんなこと」
「……でも、それじゃあせっかく作ってもらっても、有効活用できないじゃないですか」
「使いますよ。俺が」
「え?」
理解できず、賢者は思わず目を丸くした。そんな賢者を、何を言っているんだという目をしてミスラは見つめ返す。
「あの、俺のほうきなんですよね?作るのはミスラですけど」
「はい」
「でも……。使うのはミスラなんですよね?」
「そうですよ」
「それは……、俺のほうきじゃなくて、ミスラのほうきなんじゃないでしょうか」
作るのも使うのも、ミスラだと言う。それならば、わざわざ賢者の手に渡らせる必要が無いのではないか。混乱していると、ふいに柔い感触が賢者の手の甲に触れた。意識を戻し自身の手を見た賢者は、あまりに驚いて手を引っ込めそうになった。ミスラが、手の甲に唇を押し当てている。キス、というよりも、ただ手持ち無沙汰だから口元に持ってきた、と言う風である。賢者の反応を意に介さず、ミスラは続ける。
「あなたのほうきじゃなきゃ意味がないんですよ。あなたの物を、俺が使うから重要なんです」
「そ、そうなんですか……?」
ミスラが手の甲に唇を押し当てたまま喋るので、唇がうごめき賢者の皮膚を撫で上げる。その感触だけでパンクしそうな賢者は、ミスラの言葉を理解することにリソースを割けるほど余裕ではなかった。だからといって、素面で聞いていれば理解できる言葉でもなかったが。
「そうですよ。あなたのほうきを、俺が乗って見せつけてやるんです。オズや、他の魔法使いたちの前で」
そう言うと、ミスラは悦に入ったように、うっとりと目を細めて笑った。薄い唇が、綺麗な弧を描く。唇の隙間から吐息が漏れて、その湿った熱に賢者は身震いした。
「だから、俺からほうきを貰ったら、ちゃんと他の魔法使いにアピールしてくださいね。あなたの物なんだって」
「は、はい。頑張りますね」
賢者の返答を聞いて、ミスラは再度笑った。しかしその笑顔は、さっきまでのものとは違い、ひどく無邪気な、子供のような笑顔だった。あはは、と笑い声を漏らしながら「今日はいい夢見れそうです」と言う。
機嫌の良いミスラを、賢者は困りきった表情で見下ろす。賢者の手は、未だにミスラの唇から解放されそうにない。それに、上機嫌になったせいかミスラはどんどん饒舌になっている。ミスラが楽しそうなのは賢者にとっても嬉しいことだが、爛々としている目は、まだまだ眠りそうには見えない。
ミスラのおしゃべりは、ほうきにどんな魔物の骨を飾りたいか、という話にまで広がっている。果たしてミスラが眠りにつくのは何時間後になるのだろうか、と思いながらも、このおしゃべりが彼の見る夢を楽しいものに変えるのならと、賢者は慈しむような気持ちでミスラと言葉を交わし続けた。