匂い立つような花

 「十二歳の少年は花のように美しく、十三歳の少年はそれを超えるほどに愛らしい」こんな風に歌いあげた、古代ギリシャの詩が存在する。その年頃の少年にしかない美しさを讃えながら、最後には「十七歳の少年ともなると、それは人間が相手ではなく、ゼウスの相手にこそふさわしい」と語るのだ。
 自分がこの世界に来てから数年経ち、かつては少年と呼ばれていた魔法使いたちも、すっかりゼウスの花婿にふさわしい歳を追い越してしまった。この詩の中では、十七歳が美しさの到達点であるかのように語られているけれど、彼らの美しさは日を追うごとにどんどん増していった。
 シノは少年の面影を残しつつも、顔つきも体格も彼の理想に少しずつ近づいていき、アーサーは頬の丸みや目元にあったあどけなさが失われて、花のかんばせとも言える美貌になっていった。ヒースの美しさについては、もはや言うまでもない。この間、依頼先でご老人を介抱した時、意識を取り戻した彼がヒースを見て「おお、天からお迎えがきおったわい」と拝んでいたほどだ。
「でもさ、一番きれいになったのは、賢者さまじゃない?」
 そう俺に言ったのは、西の魔法使いとしての風格が出てきたクロエだった。彫りの深さがいっそう際立ち、身長が伸びるにつれて脚の長さも目立っていった。西の魔法使いの中でも、特に人目を惹く色男になっただろう。そこにお茶目な表情や仕草も加わって、お喋りしているだけでも洋画のワンシーンのようにきまっている。
「勿論、前から可愛い顔した男の子だなーって思ってたけど、なんていうか、今はそれよりずっとすごいよ。俺なんか毎朝会うたびに見惚れちゃいそうになるもん」
「みんなから生気を吸い取ってるんですよ」
「あはは、なにそれ」
 こんな風にして、魔法使いたちから容姿を褒められることが多くなった。アーサーなんて「賢者さまが日々美しくなっていく瞬間に、こうして立ち会えたことが誇らしいです」とまで言うのだ。正直、俺自身は自分の顔にそこまでの変化を感じられない。頬の肉が削ぎ落とされたのと、目元の余分な肉が無くなった程度だろうか。若い魔法使いたちと同等の美貌になったとはとても思えない。彼らとほぼ同世代なだけに、余計にそう感じる。そして、それとは別に、クロエに訊いてみたいことが一つだけあった。
「あの、カインの見た目って、クロエから見て止まったように思いますか?」
「カイン? うーん、確かに最初に会ったときのままかも?」
 魔法使いは、魔力の成熟と共に肉体の老化も止まる。若い魔法使いの中でも、魔法舎に来てから成長が止まったのだろうと思われる者が何人かいた。カインもおそらく、そのうちの一人なのだろう。魔法使いからしてもこの判断は難しいようで、三十年経ってようやく老化が止まったと判断できた者も中にはいるようだ。
「俺もそう思ってるんですけど、前より変わったなーってところもあって……」
「変わった? どんなところ?」
「なんか、カインと見つめ合ってる時の、表情というか視線が」
 愛おしそうに、慈しむようにこちらを見る視線。そこになんだか、以前と比べてくすぐったいものが含まれてるように感じるのだ。彼にそうやって見つめられていると「わーっ!」と叫び出したくなるような、居ても立っても居られない気持ちになる。その、色気というか、成熟というか、俺が感じるその変化が、肉体が老化したからこその物なのだろうか。
そう説明したところ、クロエは突然、くすくすと笑い出した。
「ふふ、ふふふふふ……」
「あの、クロエ?」
「だめ! それは教えられないよ!」
 いっそう楽しげに、こみあげてくる笑いをこらえながら「それは賢者さまが自分で気づかなきゃ!」と彼が言う。答えになっていないというのに、いかにも幸福そうに彼が言うので、満ち足りた気分になってしまうのだから不思議だ。
 俺が自分で気づかなきゃいけない。それは、魔法使いを束ねる賢者としての話だろうか。それとも、カインにとっての俺が、何か特別な意味を持つからだろうか。そこまで考えて、さすがに思い上がりが過ぎる、と頭の中で打ち消した。でも、最近のカインは、そう思わせてくるようなことばかり言うので、俺としても少し困っているのだ。

「頼むから、これ以上美人にならないでくれよ。不安で夜も眠れなくなる」
 真剣な顔でカインがそう言うので、俺は笑い出しそうになった。休日、二人で中央の街に出かけて、有名なカフェに来ているところだった。満席のため、入り口近くの簡易席に座って案内されるのを待つ。そのお喋りの間、カインがそんなことを言いだしたのだ。
「大げさですよ」
「大げさじゃない。変な奴にからまれたり、誘拐されるんじゃないかっていつも心配してるんだぞ」
「俺、そんなに綺麗な顔じゃないです」
「綺麗だって」
「綺麗じゃないです」
「それなら、俺が晶のことを好きすぎて、実際より美人に見えてるってことになるな」
「う……」
 うまい返しが思いつかず、店員から渡されていたメニューに顔を半分埋める。それすらも愛おしそうにカインが見つめるので、俺はいっそう照れ臭くなってしまった。
 メニューとにらめっこしてる間、カインの温かい指が、俺の横髪をすくい取って耳にかける。頬をくすぐる毛先の感触がこそばゆい。
「髪、切った方がいいですかね?」
「なんで?」
「邪魔そうに見えるのかなって」
 ちょうどまた落ちてきた横髪を指しながら言うと、カインはどこか眩しそうに目を細めて「いや、俺が晶の顔をよく見たいだけだよ」と言った。
「そ……そうですか……」
 あまりにまっすぐそう言われるので、頬がどんどん熱くなっていく。最近のカイン、こういうのばっかりだ。そんなに俺の顔、好きなんですか。そう聞いてみたところで、少しも恥ずかしがらずに「うん」と答えるだろうから、黙ってその視線を受け止め続けるしかないのだけれど。

 こんなにもきれいな顔をしていただろうか? 晶の顔を眺めながら、いま改めてそう思った。
 確かに初めて会った時から、品の良い、整った顔立ちの子供だとは思っていた。ただきれいなだけじゃない。傷ついた顔をしていると、すぐに駆け寄って抱きしめてやりたくなる、そういう子供だった。この子を助けてあげたら、今この瞬間だけ自分はヒーローになれるのかもしれない。初対面の相手にさえ、そんな期待を抱かせてくれるものがあった。その、庇護したくなるような愛らしさに、今は匂い立つような色気も加わろうとしている。
 今もそうだ。見つめているだけで、自分のすべてが吸い込まれそうになる。席に案内されて、注文したキャラメル味のアイスをおいしそうに食べていく姿を眺めながら思った。俺なら一口で丸呑みできそうなサイズのそれを、小さなスプーンで、少しずつ切り崩しながら口に運んでいる。いま、キスをしたら、ひどく甘い唇をしているのだろう。
「カインも一口食べますか?」
 こちらの視線に気づいた晶が言う。
「うん」
「はい、どうぞ」
 多めにすくい取ったスプーンをこちらに差し出される。柔らかそうな唇と、その隙間から覗くピンク色の舌を見つめながら、それを口に含んだ。痺れそうなほど甘い。「美味しいですか」と聞かれて、舌先でアイスを弄びながら「うん」と答えた。
「イチゴアイスと悩んだんですよね。今度はそっちにしようかなあ」
「なら、次来るのも俺と一緒の時にしてくれよ」
「ええ?」
「さっき、入り口近くにいる時の晶の横顔がすごくきれいだったから」
 背後の小窓から日差しが降り注いで、頬の上にまつ毛の濃い影が落ちていた。長いまつ毛は伏せているとより存在感を増していて、その隙間から覗く潤んだ瞳が、夢みたいにきれいだった。
「俺以外の奴が、その顔を見るのは嫌だよ」
 そう言うと、顔を少し伏せて、口元に指を添えながら晶が恥ずかしそうに笑う。
「カイン、最近そういうのばっかり」
「晶が言わせてるんだよ」
 どうしてそんなに隙のある仕草をするのだろう。そんなんだから、すぐにでも手が届きそうだって、俺に都合のいい勘違いをさせるんだと言ってやりたくなった。

 カインと二人で出かけてから数日後、依頼のために数人の魔法使いたちとまた中央の街へ来ていた。依頼自体はすぐに終わり、まだ時間の余裕があるからと、各々が自由に過ごすことになった。先に魔法舎へ帰宅する魔法使いもいれば、もう少し街を見て回るという魔法使いもいた。俺は後者の方で、カインも騎士団の詰所がすぐそこにあるからと、少し顔を出してくると言っていた。俺は残ったヒースと、街の中心部で彼を待つことにした。
 目の前を行き交う人たちの視線が、こちらに吸い寄せられていくのが分かる。流石に立ち止まってじろじろ見る人はいないものの、ちらちらと横目に覗き見ているのを感じた。まあ、妖精のようにきれいなヒースが隣にいるのだから、こうなるのも仕方がない。母親に手を引かれた小さな女の子まで、いま見たのが幻なんじゃないかというように驚いてヒースを振り返っていた。さすがに彼も居心地が悪いのか「あの、どこかの店に入りましょうか」と提案してきた。
「カインは?」
「窓際の席がないか聞いてきます。それならカインがここに着いても俺たちに分かるだろうから」
 待っていてくださいと言ってヒースが近くのカフェに向かっていく。偶然にも、以前カインと訪れた店だった。あんなこと言ってたから、ヒースがいたら嫉妬しちゃうかな。遠ざかっていく彼の後ろ姿は、等身の高さや美しい金糸だけでも、十分すぎるほどに人目を引いていた。顔が見えなくてもこれじゃあ、外出するたびに声をかけられて困っちゃうだろうな。そんな風に苦笑していると、背後から急かすような声が聞こえた。
「ほらっ、離れたじゃん! 行け! 行けって!」
 通行人の会話だろうと思い、さして気にも留めずにいたら「あの、すみません」と声をかけられる。
「はい?」
 振り返ると、若い男性がすぐそばに立っていた。俺と同い年くらいだろうか。背が高くて、わりとかっこいい。その少し後ろで、友人らしき男性がそわそわとこちらを窺っているのがわかる。
「あの、何かご用ですか?」
 以前依頼先で知り合った人だろうか? 頭の中でその顔を誰かに当てはめようとするけれど、該当する人が見つからない。
「用というか、その……」
「はい」
「良かったら一緒にお茶してくれませんか」
「へ?」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。意味を理解して、みるみる頬が熱くなる。
「ええと、今、人と来てて……」
「あ、そうですよね。あの、じゃあ、連絡先を教えてくれませんか。また改めて会う約束をしてもいいし、その、文通でもいいので……」
 いかにもモテそうな、ハンサムな男の人なのに、どうして俺なんかにこんなに構うのだろう。困って口をつぐんでいると、「一目惚れなんです」と懇願するような顔で彼が言った。こういう時、どんな言葉で断るべきなのだろうか。勇気を出して声をかけてきたのが伝わってくる分、相手を傷つけずに断りたかった。悩んでいると、伏せた視界の端から、ぬっと伸びてくる黒い腕が見えた。
「おい」
 聞き慣れた声がして、見ると、カインがその人の肩を掴んでいた。友人らしき人がその後方で怯えた顔をしている。
「何してるんだ? 怖がってるだろ」
 いつもの親しみやすい笑顔を消して、カインが言う。美形の真顔は怖い。声の圧もあって、俺まで怖気つきそうになった。カインが彼の身体にまず触れたのは、厄災の傷のせいだろうと俺には分かる。でも、この人には敵意の表れだと感じるかもしれない。
「いや、ただ話しかけてただけで……」
「何の用で?」
 男の人は、可哀想なくらいにうろたえていた。カインは、俺の身を案じてくれたのかもしれない。でも、ナンパなんて中央だとよくある事じゃないだろうか。少なくとも、ここまで咎められる必要はないだろう。
「あの、この人たち、俺に道を聞きに来てて」
 自分でも苦しい言い訳だと思った。けど、このままでは相手があまりにも可哀想で、慌てて助け舟を出す。声をかけてきた彼がほっとした顔をしたのも束の間、「道? あんたが?」といよいよカインの声の圧が強くなる。
「騎士団にいた頃、この辺りの地図も、住んでる奴らの顔も叩き込まれた。お前、この辺の人間だろ。こんな大通りで、人に聞かなきゃ分からない場所なんてあるのか?」
「それは……」
 あからさまに憔悴した男の姿を見て、さすがに可哀想になってくる。カイン、もういいですよ、行きましょう。そう言って無理にでも引き剥がした方がいいんだろうか。そう思っていると、俺の背後からもう一つの馴染み深い声がした。
「なにしてるのさ、カイン……」
 白く美しい顔に、呆れた表情を浮かべて俺たちを眺めるヒースがいた。我に返って周囲を見渡すと、人だかり、と言うほどではないにしても、俺たちを遠巻きに見る空気が周囲にできていた。はあ、とヒースがため息をつく。
「そこの店で席を取っておいたから、賢者さまと先に行ってきてよ。俺はこの人たちを送ってくるから」
 そして彼らに向き直って「俺の友人がご迷惑をかけてすみません」と完璧な微笑を浮かべてみせた。「道を聞いていた」という言い訳に合わせるために、ヒースがもっと開けた場所まで彼らを連れて行こうとする。見守っていた周囲の人たちも、安堵したような顔になって、また人込みの中に紛れていった。

 カインと一緒に、カフェの中でヒースを待つ。あの人たち、落ち込んでないかな。色んな人たちに注目されて、別に悪いことをしたわけでもないのに、怒られて。
「カイン、あんなに怒ることないでしょう」
 だから、珍しくカインをそう非難してしまった。テーブルを挟んで向かいに座る彼は、「あんたに何かあったらどうするんだよ」と頑なに言う。
「ナンパに見せかけて、刃物を取り出したらどうするんだ? そういうのを危惧して、俺たちがずっと賢者さまのそばについてるんだろ? 今のは、一瞬でもあんたを置き去りにしたヒースだって悪い」
「それは、そうかもしれないけど……」
 騎士団にいた頃の彼は、そういう場面を何度も目にしてきたのかもしれない。彼のそういう危機感に、知らず知らずのうちに俺は守られてきたのだろう。でも、善良な人を怖がらせたのは事実だ。そう思って、ムッとした顔のままでいると、カインは不意に眉を下げて「ごめん」と言った。
「……さすがに、やりすぎたとは思ってるよ。でも、声をかけられてる晶を見たらさ、つい」
 もし彼に耳が生えていたら、しゅんと垂れていそうなくらいに落ち込んでいる。子供じみたその表情に、怒りが収まっていくのを感じて、俺は本当にカインに弱いと思った。
「……もういいですよ。俺のこと、心配してくれたんですよね?」
「それもあるんだけどさ……なんか、賢者の魔法使いになってなかったら、俺もああやって晶に話しかけてたのかなって思って」
「え?」
「俺は、賢者の魔法使いになれてなかったら、あんたと関わる機会も無かったはずだろ。そうなったら、街中で声をかけるしか知り合う機会もなくて、俺もああなってたんだろうなって……」
 ぼそぼそとカインが続ける。それでどうしてあそこまで詰問することになるのか、俺には理解できない。
「カインが賢者の魔法使いになってなくても、きっとどこかで知り合えてたし、仲良くなれてましたよ」
「そんなわけない。今でさえ、こんなに口説いてるのに、あんたは俺を特別扱いしてくれないだろ」
「なんですか、それ」
「ちゃんと見張ってないと、晶が俺以外のものになるんじゃないかって、不安になる」
 コーヒーを見つめながら、ぽつりとそう言われて、なんだか胸が締めつけられた。カインだって、と言いかけたのを飲み込む。カインだって、誰にでも優しいじゃないですか。確かに俺のことを褒めてくれたり、いっぱい構ってくれるけど、誰にだってそうするはずで。そう反論したいのに、ついさっき俺が声をかけられるのを、阻止しようとした姿が頭に思い浮かぶ。あんな顔になるくらい、カインは俺のことを。そう思うと、ひどく自暴自棄な気持ちになって、言わずにいようとした言葉が自然と口をついて出た。
「なら、俺、カインのものになります」
「は?」
「俺がカインのものになったら、もう不安じゃなくなるんでしょう?」
 カインは、状況が飲み込めずにいるのか、どこか呆然とした顔で「……うん」と頷いた。
「俺の?」
「カインのものになります」
「晶が?」
「……俺が、カインのものに」
「ごめん、もう一回言ってくれ」
「も、もう、十分じゃないですか……?」
 自分で言っておいて、だんだん恥ずかしくなってきて、ついには顔を覆った。それに反して、指の隙間から覗くカインの顔が、みるみるうちに笑みを深めていくのが分かる。
「なあ、それってつまり、そういうことだよな」
「そういうことです……」
「いいんだよな? 取り消さないよな? 俺が何回顔を褒めたって、ほだされなかったのに」
「なんでそうやって、俺の外見ばっかり褒めるんですか?」
 あまりの喜びように、なんだかこっちが恥ずかしくなって、つい刺々しい声でそう聞いた。けれどカインはけろっとした声でこう返した。
「なんでって、中身を褒めたら、もっと照れるだろ」
「…………」
 それは、否定できない。
「なら、晶の好きなところ、ここで全部挙げていってやろうか? 優しくて、俺たち魔法使いのことを真剣に考えてくれて、誰に対しても一生懸命で、他には、疲れるといつもより気を許して、俺たちに甘えてくれるところ」
「ちょ、ちょっと待ってください……」
「あとは、怖がりで、人見知りするところとか」
「……それって、長所なんですか?」
「長所だよ。怖がりな分、俺たちに守らせてくれるだろ? 俺は好きな相手のこと、守ってあげたいタイプだからさ」
「……」
「人見知りなくらいがちょうどいいよ。これ以上誰かと仲良くならないでくれ。恋敵が増えるのはごめんだ」
「あの、もう、いいです……」
「あと、そうやっていちいち照れるところ」
 もう、何も言わないで欲しい。顔から火が出そうだった。
「好きって気持ちがちゃんと伝わってるんだなって分かって、嬉しくなる」
 カインはそう言って笑った。いつも通りの、気を許してしまいそうになる、親しみのこもった笑顔。ただ、その表情がほどける瞬間に、目尻をとろけさせながら俺のことをじっと見つめる。愛おしいと思ってるのが丸わかりの目で。
 カフェの入り口にかけられたベルが鳴る。近づいてくる足音。俺たちのそばでそれが止まり「びっくりした」と涼やかな声が言う。
「カインが賢者さまを泣かせてるのかと思った」
 真っ赤になった頬を両手で覆ってる俺に、ヒースが言う。
「なんで俺がいじめるんだよ」
「いじめたそうな顔して、ずっと賢者さまについて回ってるだろ。いじめるというか、なんとしてでも構われたがってる犬っていうか……」
 そう言いながら、ヒースが俺の隣の席に座る。
「帰る時は、俺の箒に賢者さまを乗せていくから」
「え、なんでだよ」
「だって、今のカイン、なんか怖いし。賢者さまのこと襲いそうだから、俺が乗せてくよ。いいですよね? 賢者さま」
 ヒースの言葉にこくこくと頷く。「いじめてないし、襲わないぞ。いま、良いところだったんだよ。ヒースが来るまで、二人の世界だったんだ」とカインが言い訳がましく言うのが聞こえて、俺は少しだけ肩を揺らして笑ってしまった。

 もう、夏の始まりに足を踏み入れているのかもしれない。午前の白い日差しは、温度はそこまで高くないのに、眩しさだけが夏季のそれだった。
「いいなあいいなあいいなあ!」
 カインとの顛末を話すと、クロエは素敵な恋愛小説を読み聞かせてもらったかのように、体を揺らしてそう言った。バルコニーに出したティーテーブル。その上のお茶菓子。それを挟んで、クロエとおしゃべりをしていた。
「今思い返すと、情けない感じになっちゃったなって……」
「ううん! そんなことないよ! 最高の告白だと思う!」
「そうですかね……」
「だって、ロマンスで一番大切なのは、お互いに想い合ってるのが伝わることでしょ!?」
 自信満々にそう言われると、そうかもしれないと納得してしまう。西の国の色男が言うのだからなおさらだ。
「それに、あなたのものになります、なんてさ……男ならみんなそそられちゃうよ!」
 清潔な白いテーブル。赤いジャムの乗った、食べかけのクッキー。日差しに照らされたそれは、まるで幸福そのものみたいだった。向こうにあるクロエの笑顔も。
 そうしていると、聞きなれた声が俺を呼ぶのに気づいた。二人一緒に、バルコニーの手すりに身を寄せて中庭を見下ろす。俺たちの話し声が聞こえたのか、カインがこちらに手を振っていた。
「すごい。恋愛小説みたいに良いタイミングだね」
「本当に」
 そう言ってクロエを振り返ると、彼は一瞬びっくりしたように目を見張った。なにか見えたのかと、また空の方へ向き直ると「違うよ。賢者さまがあんまりきれいだから、見惚れちゃっただけ」と言う。
「みんなそればっかり」
「だって、本当にきれいなんだもん。賢者さまだって、俺たちの顔のこといっぱい褒めてくれるくせに」
 分厚い雲が一瞬太陽を遮って、すぐにまた日差しが俺たちの上に降り注ぐ。クロエがいっそう眩しそうに目を細めた。
「でも、カインから見た賢者さまが、一番きれいなんだろうね」
 俺の背後から、新緑の匂いを孕んだ風が舞い上がる。中から階段を駆け上がるのがもどかしくて、箒に乗ってこちらに向かってくるカインのものだ。あと数秒、もしくは今すぐにでも、背後からカインが俺を抱きしめに来るのだろう。そう思うと、他に何もいらないくらい、満たされた気持ちになった。