まだ愛ではないけれど

「おれのペニスが、馬鹿になっちまった」
ベッドの上に仰向けに寝転んだまま、おれはそう言ってみせた。悲壮感がたっぷりと含まれた声である。実際、おれは悲しくて仕方がなかった。初めて自分自身のことを憐れに思ったかもしれなかった。
「馬鹿になったんですか」
やけに落ち着いた声が、おれの隣から聞こえてきた。その生意気な物言いをしたのが誰であるのか、言わなくても分かるだろう。あの、美空の野郎だ。
美空がおれと同じベッドに入り、おれの隣に横たわっている。それだけで、数時間前のおれからすると信じられないことであるのだが、しかしそれ以上におれ自身の度肝を抜くようなことをついさっきのおれはしてしまったのである。
おれは、照明の明かりを遮るようにして、顔を片手で覆った。ハンサムにしか許されていないポーズである。顔はほとんど隠れてしまうが、僅かばかり覗く目鼻立ちや顔の輪郭だけで、美男子ぶりが分かってしまうのがハンサムなのだ。もし可愛い女の子がこの光景を見ていれば、うっとりとため息を吐くのだろう。しかし残念ながら、ここには生意気な美空しか居ないのである。それだけで、おれの中の悲しみが増していくような気がした。
「そうだ」
おれは美空へ言葉を返す。そして、おれの身に起こった事実を、美空にも分かるよう教えてやった。
「おれのペニスが、男相手に元気になってしまったんだぞ」
やはり悲壮感がたっぷりと含まれた声で、おれはそう言った。すると、隣で美空がくすくすと笑い出すのが分かった。
「笑うな」
「すみません」
謝りつつも、美空の声にはまだ笑みが含まれている。おれは上体を起こし、美空を睨みつけてやった。眩しいくらいに白い美空の肌が、見下ろした視界の中に映る。おれも美空も、服を身につけていなかった。
美空は、おれの視線に気がつくと、ぐるりと寝返りを打って逃げるように背中を向けた。鮮やかに白い背中が、おれの目の前に現れる。真珠色のベールを一枚まとっているような肌だ。針でついてやれば、たちまち赤い血の玉が膨れ上がりそうな、血の色を透かした白である。
こちらに背中を向けても、美空のくすくす笑いは止まない。肩が小刻みに揺れているのが分かる。ややウェーブのかかった黒髪が、白い肩の上でさざなみのように揺れてはこぼれ落ちていた。その髪の間から、薄い耳たぶが僅かばかり覗いている。
おれは、恥ずかしいような、憎らしいような、興奮しているような、よく分からない気持ちになって、美空に覆い被さると、その耳たぶに噛み付いてやった。
こんな風にして、おれは美空とセックスをしてしまったのだ。

それからの数日間、おれは悲しくて堪らなかった。その悲しみがどれくらいのものかというと、いつだか一時的に不能になった時と、同じくらいなのだ。それくらいの衝撃が、おれの胸を満たしていた。
しかしその悲しみの一部は、誤解によるものも含まれていた。
おれは美空とセックスした直後、ある誤解をしていたのだ。
おそらくおれは、男相手にも勃つようになってしまったのだろう__と。
それは、今まで培ってきた価値観が一変するような事実だった。
つまりこれからのおれは、女だけでなく男も口説くようになってしまうのか?今まで女の子にしてあげていたことを、男にもしてしまうのか?むさ苦しい男にも声をかけて、ホテルに連れ込み、「可愛いな」と囁いてしまう毒島獣太さんになってしまうのか__。
考えただけで寒気のするような光景だった。
なら、男を口説かなければいいだろう。そう思う奴もいるのかもしれない。しかしおれの信条は、股間に正直に生きるというものである。男相手に勃ち、男相手とやりたいと思うのならば、そのために行動を起こすのがおれの生き方なのだ。股間に嘘をついてまで格好つけるということができない。
それに、悲しいのはおれだけではない。女の子だって、悲しく思うに違いないのだ。
可愛い女の子の前で、おれが男を口説いてやったらどう思うだろう。どうして私に声をかけてくれないのか、男相手の方がいいと思うほど私には魅力が無いのか、私にはあんなとびきりの美男子と仲良くなれる機会は一生訪れないのか。そういうことを考えてしまうはずだ。それは由々しき事態だった。この状況について、どう落とし前をつけるべきなのか、おれは真剣に悩んでいた。
しかしその悩みは、数日後には解決していた。
単刀直入に言うと、おれは男相手に勃たなかった。
試しに男と”そういうこと”をする場所に出かけてもみたが、おれのペニスはぴくりともしなかった。女のような顔をした男を相手にしても、同じである。
おれは安堵した。おれの股間は、男が性的対象になったわけではないのだ。その事実だけでも、自身が落ち着きを取り戻していくのが分かった。
しかしそれはそれで、今度はまた新たな問題に直面することになる。どうして、美空には勃つのか、ということである。

インターフォンを押すと、「はい」という低い声がノイズ混じりに聞こえてきた。あの、生意気な美空の声だった。いつもであれば部下の男が対応するべきところだったので、おれは少々面食らった。中に通されてから聞くと、部下はちょうど不在のようだった。「野暮用がありましてね」と美空は言った。それならそれで、おれには都合が良かった。
応接室に通せ、とおれは言った。
「仕事の話ですか」
「違う。それよりもっと大事な話だ」
「とすると、毒島さんについての話ですか」
よく分かっている男だった。それだけに気色悪さがあった。一度寝た男だということを考えると、その気持ち悪さがより増していった。

おれは革張りのソファーに腰を下ろすと、目が眩むほどに長い脚を組んでみせた。それなりに金がかかっているのであろうソファーも含めて、惚れ惚れするような姿になっているはずだ。
おれは今自分が身につけている、チェスターバリーのスーツや、バレンティノの革靴や、腕時計、オーデコロン、その他諸々のことを思った。このような大事なお話し合いの時に自分を鼓舞するのは、こういうものたちである。今目の前にしている男よりも、おれの方がより「いい男」であるという事実が、おれの味方をするのだ。
おれは改めて、対面に座る、うすら笑いを浮かべた男を見つめ返した。そして、ちょうどいいタイミングで、話を切り出してやった。
「あれから、考えてみたんだよ。あの時のことについて__」
「あの時?」
「とぼけるなよ」
首でも傾げてみせそうな美空に、おれははっきり言った。
「おれとおめえが、セックスした時のことだ」
「ああ」
うすら笑いを浮かべたまま、美空が頷く。
「触れて欲しくないのかと思っていました」
ということは、やはり先程はとぼけていたのだろう。ますます腹の立つ男だった。
「おれはな、真剣に考えていたんだよ。ここ数日、これからどうするべきかずっと考えていた」
「そんな深刻に考えなくてもいいと思いますよ」
「なに?」
「別に、ぼくも生娘ではありませんから。責任を取れと毒島さんを追いかけ回すようなことはしませんよ」
「そんなことは分かってる。というか、もしそうだったらこの数日間でおめえがおれのとこに来てるはずだろ」
「まあ、それはそうですが」
「いいか。おれが問題にしてるのは、おれ自身のことなんだよ。おれの息子が馬鹿になってしまったのか、男相手に勃つようになったのかどうかが、問題なんだ。おめえのことはどうでもいいんだよ」
「へえ」
「そこで、試してみたんだ。男相手にも勃つのか。おまえ以外の男を試してみるとか、そういう店のそういう男を眺めたりもしてみた」
「それで、どうだったんですか?」
「勃たなかったよ。おれは男なら誰でもいいわけじゃなかったみたいだ」
「良かったじゃありませんか」
そう言うと、美空は突然ソファーから立ち上がった。おれは面食らった。
「なんだ」
「お見送りしようかと思いまして」
「は?」
「話はもう終わったんでしょう?」
「そんなわけあるか。これから本題だ」
「そうなんですか」
「そうだよ」
美空が再度ソファーに腰を下ろした。おれは何だか馬鹿にされているような気持ちになった。
「それじゃあ、何が問題なんです」
「何が問題かって、そんなの分かりきってるだろう。おれは男相手には勃たないんだ。でもおまえ相手には勃った。おめえだけに勃つのが、問題なんだ」
「わたしのことはどうでもいいと言っていませんでしたか」
「おまえ自体はどうでもいいんだよ。おまえ相手に勃つ、おれのことが重要なんだ」
「なるほど」
「なるほどじゃない」
おれは俯いて、片手で自分の額を覆った。彫りの深い顔立ちが、手のひらの影で一層美しさを増しているのだろう。おれは、おれ自身の姿については鏡を見ているかのように正確に思い描くことができる。
「重要なことなんだよ」
おれはそう言った。ぽつりと零したその声が、予想以上に頼りなく聞こえた。
「相手が不特定多数じゃなくたって、男に勃つっていうことが、どんなに深刻なことなのか、おまえには分からないんだろう。男でも女でも良いっていうおまえみたいな奴にとってはそりゃどうでもいいだろうけどな」
「ぼくだって誰でも良いわけではありませんよ」
おれは美空の言葉を無視した。
「誰に勃つのか、それはおれにとって死ぬほど大切なことなんだよ。おれの生き方の根源がそれなんだ。おれは股間に嘘はつかないが、その股間が突然馬鹿みたいな判定をし始めたらどうなると思う。おれにとっては、今まで信じていた生き方が丸ごと変わっちまったようなもんなんだ」
そう言いながら、おれは昔この言葉を聞かせてやった男のことを思い出していた。勿論、今のように弱々しい声ではなかったし、相手の男はおれが寝た相手ではなかったが、おれの人生観を語って聞かせたという部分はほとんど合っていた。男はおれの言葉を嗤った。明らかな嘲笑の色が目に浮かんでいた。しかし、おれは特別気に留めなかった。その男はおれより不細工だったからだ。
けれど、今になってあの嘲笑だけが鮮やかに思い浮かんでくる。もしかしたら、おれの主張は、ひどく馬鹿馬鹿しいものなのではないか、という不安が影のようにおれの胸につきまとっていた。
「毒島さん」
ふいに、美空が口を開いた。妙に改まった声だった。その、どこか心強い響きを持った声に、不覚にもおれは現状を打破できるような期待を抱いてしまった。
「最近になって、シャチが鮫の肝臓を食べるようになったらしいんですよ」
おれは額に当てていた手を離した。そして、美空の顔を真正面から見つめ返す。薄気味悪い笑顔がやはりそこにあった。何言ってんだ、という顔をおれはしていただろう。美空は微笑したまま続ける。
「ここ数年で、ある海域に肝臓をくり抜かれた鮫の死体が多く見られるようになったのを聞いていますか。それがシャチの仕業によるものらしいんです」
「何言ってんだ、おめえ」
おれはとうとう顔だけでなく口に出してしまったらしい。しかし無理もないだろう。おれの悲痛な叫びを聞いて、何故かシャチと鮫について語り出す奴が目の前にいるのだから、おれの混乱は仕方がないものだった。
「シャチが鮫の肝臓を食べ始めたことについて、鮫の肝臓の栄養分の高さについてシャチが気づいたのだろうと研究者は主張しています。しかしそれと同時に、シャチが鮫の効率の良い倒し方を学んだことも原因の一つであると言っているんですよ。シャチが尻尾を振って水流を操ると、鮫はひっくり返って身動きが取れなくなってしまうんです。そこで致命傷を負わせるんでしょうね。シャチは人間のようにグループで社会を形成する生き物ですから、その倒し方が仲間内で一気に広まったのだろうと言われています」
「それで?」
おれはそう言った。明らかにうんざりした声だった。美空が何を教えようとしているのか、さっぱり分からなかった。
「それで、どうなったんだよ」
「…………」
「おい」
おれがそう問いかけると、美空は目を伏せて沈黙した。唇にはやはり微笑が浮かんでいたが、さっきまでべらべらと饒舌に話していたやつが意味もなく沈黙するのは、割と怖いものがあった。
「よしましょうか」
「なに?」
「考えてみましたが、話としてまとまりがないように思えてきたので」
「なんだよ、それ」
おれは呆れて、ソファーの背もたれにぐったりと体を預けた。
「あんなに長々と話しておいて、結局オチは何なんだ。聞かせろよ、おい。まさか、ただおれに説法を聴かせようとしたわけじゃないよな」
「オチは、あるにはあるのですが、毒島さんとの関わりがあまり無いことに気がついたので」
特別恥ずかしがってる風も無く、淡々と美空が言ってみせる。だから、おれは美空の意図にしばらく気がつけなかった。数秒のまを置いて、おれはやっと美空の行動の意味を理解した。
「まさか、おまえ、おれを慰めようとしたのか」
「はい」
「はいって、おめえ……」
おれは頭を抱えた。勿論この頭を抱えるというのはおれの心情を表した比喩である。実際は、額にわずかに垂れた前髪にそっと指を通すという、ハンサムにしか絵にならないポーズをしてため息をついてみせたのだ。
しかし、美空の馬鹿さ加減にはつい呆れてしまった。突然長々と語り出したかと思いきや、おれを慰めるためだったらしい。おそらく、おれの心情に重なるような例え話をしたかったのだろうが、そうとはいえシャチと鮫の話をおれに例えるなと言いたくなった。
「おまえな……そういう時は、やり方ってもんがあるんだよ」
「例えば?」
美空が馬鹿みたいな聞き方をした。おれは呆れた。しかしよくよく考えてみれば、こいつは出会った直後から馬鹿みたいな質問をする男だった。
「例えばな、まず最初に『わたしはあなたを慰めたいんです』って言ってやるんだよ。慰めたい意志があることを伝えるのが肝心なんだ。それだけで相手はかなり気が楽になるんだよ。それでも満足しないやつは居るもんだが」
「満足しない方であれば、どうすればいいんですか」
「そんなら、何か説教を垂れるなんてしないで、ただ相手の手を引いてやれば良いんだよ。それで、私の体で好きなだけやりたいことをやっていいのよって言われたら、おれはもうそれだけで元気になるな」
美空が小さく笑うのが分かった。
「けれど、それは女性にしかできませんね。わたしにそれをされても、毒島さんは嬉しくないでしょう」
「そうだと言いたいとこなんだがね、おまえ相手だとそうでもないのが問題なんだよ」
不意に、美空がおれの手を取った。白く、生温かい、柔らかな手だった。それだけで、体中のうぶ毛がぞわりと立つような気がした。美空がおれの手を引いて、ソファーから立ち上がる。
「行きましょう」
「どこに?」
「毒島さんを慰めてあげるんですよ」
おれは美空に手を引かれるまま、素直にその後をついていった。
「大丈夫ですよ」
その途中で、前を向いたまま美空が言う。
「わたし相手に勃ったのなんて、誤作動みたいなものでしょう」
まるで、赤点のテストを持って帰ってきた子供を慰める、若い母親のような声だった。おれは神妙な顔を作ってそれを聞いた。何故そうしたのかは自分でもよく分からなかった。

おれが連れられたのは、応接室や客間とは明らかに違う、プライベートな寝室だった。ベッドカバーやその他諸々が、紺色で統一されている。このマンションの他の部屋もそうなのだが、いかにも美空らしい生活感の無い部屋だった。目を凝らしても、髪の毛一本落ちていなさそうである。
しかしその一方で、美空が生活している証を鮮明に残しているものがあった。
匂いである。
女の部屋に入った時に感じる、化粧の匂いや白粉臭さによく似ていた。美空の体臭だったり、髪の匂いだったり、呼気だったりが混ざり合って、この部屋の中で微かに息づいているのだ。その匂いが、おれの肺の中をいっぱいに満たしてはくすぐっている。
その匂いを嗅いでいるうちに、おれはベッドにたどり着くより先に我慢ができなくなってしまった。
背後から、美空の顎をすくい上げて、こちらを向かせた。噛みつくようにして、唇に吸いついた。
美空の唇は、柔らかかった。もし噛みついてやったら、甘い蜜を溢れさせて、口の中でとろりとほどけていきそうだった。
顎を掴んでいる手の甲に、美空の髪が触れてはさらさらとこぼれ落ちていく。おれは、それだけで気が狂いそうだった。美空の唇を塞ぎながら、自身の鼻息が荒くなりつつあるのが分かった。
そのまま、もつれ合うようにしてベッドの上に転がった。互いの腕や脚が絡まり合う。おれは、美空の唇をまた塞いでやろうと覆い被さった。
しかし、触れたのは唇ではなかった。白い、なめらかな頬である。
美空が、わざとそっぽを向いたのだ。生意気な奴だった。けれど、それならおれにも考えがある。おれは、唇ではなく、目の前にある耳たぶへむしゃぶりついてやった。
「あ__」
美空が、吐息を含んだ声を漏らす。ここが随分弱いことを、前回のセックスでおれはちゃんと学んでいた。
複雑な形をした耳の穴を、まるで女の膣でも舐めるかのようにおれは愛撫してやった。舌先で、溝をくすぐってやったり、弾力のあるふちを口に含んでやったりする。
勿論、その間も手を休めてはいない。衣服を捲り上げながら、美空の体を撫で回す。手のひらに触れるのは、明らかに男の体だった。いくらおれより細くても、筋肉を含んだこの手触りは女の子のものではない。そうと分かっていても、やはりおれは昂り続けていた。
おれは、ベッドに投げ出されている美空の手を掴んだ。そして、おれの下腹部へ持っていく。スラックス越しの”あるもの”に触れさせてやると、美空は声を上げた。
「おや」
さっきから気づいていただろうに、今初めて知りましたという声を出す奴だった。おれは一層、美空の手をそれに押し付けてやる。そのまま、美空の手を上下に手繰っ
て、撫でるような動きをさせる。そうやって、それの形や固さを無理やり確かめさせてやった。
「勃たせないで下さい」
「無茶言うな」
「そういう流れだったでしょう」
美空の主張は、おれにとってあまりに馬鹿馬鹿しいものだった。生まれてこの方、股間に正直に生きてきたのがおれなのだ。その場の空気やら流れやらに従って、勃てたり勃てなかったりなんてできるわけがない。
「これでは、慰めた意味がありませんね」
吐息混じりの声で美空が言う。その声のリズムが乱れつつあるのを、おれはちゃんと感じ取っていた。唾液をたっぷりまぶした舌で、おれが耳をくすぐるにつれて、その乱れが大きくなっていく。
股間にあてがわれた美空の手は、もうおれに手を引かれずとも自分の意思で動いていた。スラックス越しの膨らみを、確かめるようにゆったりと撫でている。
「おれは、意味があったと思うぜ」
「へえ?」
美空が目だけ動かしておれを見る。憎らしいほどに色っぽい視線だった。
「そう言う割には、何も解決してないように見えますが」
「別に、解決しなくたっていいんだよ。慰めるっていうのはな、そのまんま相手を慰められたらそれでいいんだ。相手の気が晴れるとか、元気付けられたなら十分なんだよ」
おれは、馬鹿みたいな説明をしていると自分でも分かっていた。しかし、あの美空が辿々しくもおれを慰めようとしたのだ。それならおれの方も、わずかばかりでも美空へ誠意を返してやるのが筋だろう。
「じゃあ、毒島さんは気が晴れたんですね」
「ああ」
「元気になりましたか」
「聞かなくても分かるだろ。触ってるんだから」
「そっちの意味ではありませんよ」
そう返している間も、おれのものは痛いくらいに張り詰めては布地を押し上げていた。このまま放っておいたら、チェスターバリーのスーツが張り裂けてしまいそうなほどである。
おれは、愛撫を続ける美空の手を取った。手の甲を覆うようにして、おれの手をぴったり重ねる。そのまま、美空の親指と人差し指を手繰って、スラックスのファスナーを下ろした。熱を帯びたおれのものが、隙間から押し出される。美空の指をそこに絡ませてやった。
普通の女の子であれば、ここで感嘆のため息の一つくらいは溢すものなのだが、生憎こいつはあの生意気な美空である。唇の端をほんの少し持ち上げただけだった。
「気絶するなよ」
おれは美空に言ってやった。
「おまえが白目剥いたって、止めてやらねえからな」
冗談ではなく、本気でおれは言っていた。種が枯れるまで美空に注いでやるつもりだった。最低でも、美空の口の中に五回、尻の方にはその倍の数だけ、おれのものをたっぷり飲ませてやる気でいた。
「いいんですか」
「なにが」
「毒島さんがいいなら、構いませんけど」
「いいんだよ」
その声はひどく投げやりに聞こえただろう。しかし、構わないだとか構うだとかがどうだっていいという気持ちは、確かにおれの本心だった。
結局のところ、「やりたい」と思った相手に勃つということだけは、何も変わっていないのだ。それが分かっただけで、もう何もかも解決したような気持ちだった。美空に対して「やりたい」と思ったのは事実であるし、美空が「やりたい」と思うのに値する相手であることも確かだった。
実を言うと、おれにとってもう全てが面倒で仕方がなかった。数日前に感じていた悲しみだとか、怒りだとか、美空の変な慰めに対する困惑だとか、そういうものが全部あたまの中でごちゃ混ぜになっている。おれの中に元々ある、獣じみた何かが顔を出し始めていた。
目の前で、美空の白い肌がうねる。おれの喉が、ぐびりと音を立てて生唾を飲んだ。こんがらがった腹の底で、美空へ抱いた劣情だけが、まっすぐに育っていくのが分かる。まるで純化していくように、性的な興奮が、ガラスのように透き通っていく。おれの頭は、もうそのことだけでいっぱいになっていた。
「口を開けな」
気持ちいいほどに「馬鹿」になってしまったおれのペニスが、美空の口の中へ押し込まれようとしていた。