壊れたビデオテープ

 これはそんなに重い話ではない、と前置きしたって、大抵の人はこちらを心配してくるだろうし、それ以外の人は構ってほしくてこんなことを言ってるんだ、と一蹴するだろうから他人に打ち明けたことはないのだが、晶は自殺する夢を子供の頃からよく見ていた。
 一番多いのは首吊りの夢だ。夢の中で彼は、薄暗い部屋の中央に立っている。締め切ったカーテンの隙間から漏れる光を見るに、外は昼間の明るい日差しに満ちているのだろう。室内は床に直置きされた本やゴミで散らかっており、晶の今までの人生で、ここまで部屋が荒れたことはなかったのだが、それでも夢の中の彼はここが自室であると認識し、どこか穏やかな、安全地帯にいるような安心感を抱いていた。
 顔を上げると、天井から吊るした縄が目に入った。足元には、雑誌を積み重ねて作った簡易的な足場がある。夢の中の彼は、特別悲観的な気持ちになることもなく、そうすることが最初から定められているかのように、縄に手をかけ、用意された輪っかに首を通した。足場を蹴って、縄に全体重を任せる。息苦しくなるにつれて、視界が白と黒で点滅し始める。数分間もがき続けているうちに、その点滅が収まる。さっきよりもどこかノイズがかった視界の両端から、今度は赤い壁が現れた。ホラーゲームの、ボタンを連打して耐えるミニゲームみたいに、その赤い壁は小刻みに揺れ、抵抗するかのようにじりじりと動きながら、視界を左右から圧迫していく。最後、赤い壁が閉じ切って、視界すべてが真っ赤に染まったところで、晶の目が覚める。
 その次によく見るのは、ビルの屋上から飛び降りる夢だ。屋上へ続く階段の前に、彼は立っている。経年劣化の目立つ、どこかごみごみとした階段。それを一段ずつ登りながら、(これが十三段あったら、ここから飛び降りよう)と何故だか考える。「この丸めた紙屑がゴミ箱にうまく入ったら」と同じくらいの温度感で。そして、実際に十三段分の階段があって、あーあ、と思いながら晶は扉を開ける。一面の曇り空と、薄汚れた屋上が彼を出迎えた。朝なのか昼なのかもわからない、よどんだ灰色の空。一人称視点のまま、転落防止の柵を乗り越える。そして、躊躇なく、けれど意気込んだ風でもなく、まるで立ったり歩いたりするのと同じような軽さで、彼は地面へと落下していくのだ。
 晶本人は、これを深層心理の表れだとか、自殺願望があるという風には思っていない。人によっては、学校に忘れ物をする夢や、試験に遅刻する夢をよく見るというが、自分の場合それがたまたま自殺の夢だっただけだ、と考えている。ただ前述したように、それを理解してもらうことはできないだろうと分かり切っているから、一生他人には明かさないものと決めていた。そもそもとして、打ち明ける必要性もない。この夢のせいで不眠になることも、精神が不安定になることもなかった。夢は、夢でしかない。少なくとも彼にとってはそういうものとして認識されていた。

 その日も、飛び降りる夢を見ているところだった。屋上に出て、灰色の空を眺める。また、自分は死ぬのだろうか。夢の中特有の、まとまらない思考回路でそう考えていると、不意に隣から声をかけられた。
「背の高い建物が多いですね」
 驚いて、声のした方を見る。晶の隣に、ヒースが立っていた。風をはらんで揺れる金の髪。曇り空の下で、いつも以上に作り物めいて見える美貌が、こちらに視線を返す。晶はどきりとした。まるで、絵画をぼんやりと眺めていたら、絵の中の美しい少年と視線が絡み合ったかのような動揺があった。
「どうして、ヒースがいるんですか」
 晶の疑問はもっともだった。こういう種類の夢で、晶以外の人間が登場すること自体が稀である。夢の中での彼は、いつも一人で完結していた。他人の痕跡が映ることすら珍しい。それが余計に動揺を助長させていた。
「嫌でしたか?」
「い、いえ、そういう意味じゃなくて」
「すみません、意地悪しました」
 そう言って、ヒースは少しだけ、いたずらっぽく笑った。こちらをくすぐるような視線。晶の体温が一瞬で高まる。
「俺が、魔法使いだからかもしれません」
 静かな声でヒースが答える。
「魔法使いは、他者の夢に入れることがあるんです。俺も詳しくはないんですけど」
 その説明を聞きながら、目の前の彼が「本物のヒース」であることを、晶は確信し始めていた。晶が頭の中で作り上げた、夢の中の登場人物ではない。正真正銘のヒースだ。こちらを見るまなざしや、仕草のひとつひとつが、あまりにも晶の知っている彼そのものだったからだ。滅多に見ない悪戯っぽい笑みも、なぜだかその生々しさに一役買っていた。
「よくあることなんですか? これは」
「さあ。俺も他人の夢の中に入るのは初めてなので、あまり無いとは思うんですが──」
 そこで言葉を区切り、晶の目をじっと見る。
「同じベッドで、くっついて寝ていたから、入りやすかったのかもしれません」
 思わず、ヒースの口元を見た。寝る前に二人でした行為を思い出したからだ。柔らかそうなピンク色の舌が、残像のように一瞬だけ視界の中に現れて、消える。気恥ずかしくなって、晶は話題を変えようとした。
「俺の夢で、確定なんでしょうか。他の誰かとか、ヒースの夢の中ってことは……」
「賢者様の夢だと思います。俺には、見慣れない景色なので……」
 そう言われて初めて気がつく。確かにここは、ヒースにとって未知の世界だ。遠くに見えるアパート、商業施設、ドラッグストアの看板。全てこちらの世界には無い。「背の高い建物が多いですね」とヒースが言ったことを思い出す。
「人は居ないのに、音はたくさん聞こえますね」
 どこかで飛んでいるヘリの音、屋外のスピーカーから流れる町内放送、救急車のサイレン。ヘリ以外は、ずっと遠くから聞こえているものだけれど、聞き慣れないが故に彼の耳は敏感に拾い上げているのかもしれない。生暖かい風が吹いて、二人ぶんの髪がなびく。ヒースが横髪を耳にかけなおした。一瞬うつむいた顔の、無防備な白いまぶたが曇天の中で鮮明に輝く。
 砂埃がひどいな、と晶は今はじめて気がついた。この景色はヒースの目に、薄汚れて雑然とした、ひどく退屈な世界として映っているのかもしれない。そう思うと少し恥ずかしくなった。普段、魔法使いたちの色鮮やかな世界を見せてもらっているだけに、余計にそう感じてしまうのかもしれない。言い訳をするように、晶が口を開く。
「せっかくだから、もっと天気がいい時にヒースに見せてあげられたら良かったんですけど」
「そんなことありませんよ。賢者様のいた世界が見れて、嬉しいです。他の魔法使いは、見たことが無いんですよね?」
 頷くと、ヒースは嬉しそうに微笑んだ。後半の言葉に、独占欲めいた光が目に宿っていたように見えるのは気のせいなのだろうか。
「本当は、これ、怖い夢なんです」
「怖い?」
「だから、今日はそうならないみたいで、安心しました」
「怖いって、お化けが出たりするんですか?」
「「それは」」
 突然、晶の声が二重になって聞こえた。次いで、全身を覆っていた皮が一枚剥がされたかのような、奇妙な清々しさが彼の身を襲った。晶が理由を探ろうとする前に、その答えを思い知らされる。晶の目の前に、晶が立っていた。こちらに背中を向けて、周囲を気にするわけでもなく、緩慢な動作で転落防止の柵へと向かっていく。
「え?」
 そう声を漏らしたヒースが、遠ざかっていく背中と、自身の隣にいる晶を何度も見返す。「ああ」とヒースの隣にいる方の晶が声を漏らした。疲弊し、くたびれた老人のような声だった。
「ほら、ヒース、始まりますよ」
 晶が言い、もう親指ほどの大きさにまで遠ざかった背中を指す。まるで邪魔な障害物を避けるかのような、なんてことない動作で柵を乗り越える姿。晶の中で、この夢の内容を知られたくないとか、自殺する姿を見せたくない、というような強い拒否感は何故だか浮かんでこなかった。どちらかというと、退屈なことが分かり切っている映画の視聴を、ヒースに付き合わせるのを申し訳なく思うような、おかしな諦観があった。
 柵の向こうで、もう一人の晶が立ち尽くしている。このまま何も起こらないのではないか、と思うほどに静かな背中だった。これからしでかすことへの悲観も、覚悟もないように見えた。砂埃の匂いをさせた風が、何度か頬を撫でた頃だろうか。彼は両足をつけたまま、ゆっくりと上体を前へ傾けさせた。スローモーションのように、彼の髪、頭、肩が背中に隠れて見えなくなる。最後には、重力に従った両足が、コンクリートから自然と剥がれて、すべてが曇り空の向こうへと落下していった。

「ヒース」
 目が覚めて、晶が一番最初に知覚したのは、ヒースの荒い息遣いだった。晶よりコンマ数秒、もしくはそれ以上早くに目覚めていたのだろう彼は、シーツに手をつき、上体を起こしていた。青ざめた肌に、珠のような汗が浮かんでいる。呼吸のたびに肩が大きく上下していた。透き通った青い瞳は、枕元に落ちる自身の影を凝視しているように見えて、その実何も見ていないのだろう。
 飛び起きた瞬間、自分とヒースのどちらかが叫び声をあげたかもしれない。そう考えるも、隣室のアーサーやカインが駆けつけないのを見るに、それは免れたようだった。
「ヒース」
 もう一度、晶が名前を呼ぶ。ヒースがこちらを見た。疑心と恐怖に満ちた瞳が、夢と現の境目を探そうとする。さっきまでの光景が本当に夢であるのか、もしくは今目の前の景色こそが、死んだ晶を想って自分の作りだした都合のいい妄想ではないかと、すべてを信じられなくなっている目。
「怖がらせて、ごめんなさい」
 そう言って、晶は両手を差し出した。滑り込むように、ヒースの身体がそこに収まる。普段なら体温の低い体は、汗のせいか表面だけ熱く湿っていた。抱きしめ、頭上から彼を見下ろすと、品の良い紺の寝間着が、今だけ襟元に汗染みを作っているのが分かった。
「あれは、夢ですよ」
「分かってます」
 強がるような声で、ヒースは答えた。背中に回ったヒースの手が、晶を抱きしめ返す。こんなに乱暴に触れられたことがあっただろうか、と思うほどに強い力で掴まれていた。きっと、力を込めすぎていつも以上に真っ白になっているのだろう彼の指先を想像し、憐れに思う。
「ああいう夢を、よく見るんです。だから、俺は慣れてるけど、」
「分かってます」
 ヒースは同じ言葉を繰り返した。晶への返答ではないことは明らかだった。まとわりつく何かを引き剝がそうとするかのような声だった。

 その後、ヒースを安堵させられるような言葉をかけることもできないまま、晶は朝を迎えた。一応眠れはしたのだが、覚醒と半覚醒を行ったり来たりするような浅い眠りであり、白い日差しが部屋に差し込む頃には、ようやく起きる方便を得られたかのような安堵を得ていた。既に起床して着替えを始めているヒースを見て、昨日のことは全て夢だったのではないか、もし現実だったとしても、無かったことのように振る舞えるのでは、と期待したのだが、ぎこちないヒースの受け答えによってそれが無理だと悟った。
そこから二週間、二人のぎくしゃくした空気は微塵も解消されずにそこにあった。その場に二人以外の誰かがいれば、普段通りにとりつくろうことはできるのだが、二人きりになるともうダメだった。くっついて眠ることも、あの日以来していない。
 しかし晶はそこまで致命的なことだとは考えてはいなかった。勿論、元の関係に戻りたいと願うこともあったし、ヒースを傷つけたことを謝りたいとも思った。ただ、未来永劫続くようなものではないとも考えていた。結局、夢は夢だ。現実で喧嘩になったわけでもない。時間が解決してくれるはずだ。どれだけ悲惨な夢だったとしても、目覚めて数時間後には内容を忘れているのと同じように、月日が過ぎれば何事も無かったかのように、振る舞える日が来るのだと思っていた。特に、ヒースのように繊細な子であれば、わざわざ話し合いの席を設けたりする方が、彼をいっそう傷つけるだろうという直感があった。

 そしてその二週間のあいだ、晶はいつにも増して自殺の夢を見た。首を吊る夢、飛び降りる夢。浴槽で死ぬ夢も見た。
 蛇口からほとばしるお湯が、水面を叩く音がする。晶は浴槽の中で、着衣のまま座っていた。彼の足元には半分お湯に浸かったドライヤーがある。脱衣場のコンセントに差したまま、コードを引っ張って持ってきたのだ。毎度のことながら、晶の胸中に自死への悔恨や悲しみが浮かぶことはない。ただ景色を眺めるかのように、彼はこの状況を受け入れている。しばらくすると、テンポの早いクラシックの音が何故だか流れ始める。虚空を見つめる晶の視界の中で、壁のタイルの隙間に無数の虫が湧いているような幻覚が見え始めた。
 この方法で本当に死ねるのかどうか、それは晶にとって関係のないことだった。ただ夢という現象として目の前にそれは在り続けた。もっと幼い、保育園時代の頃は、自殺ではなく両親に殺される夢を見ていたことを彼はふと思い出した。特別家族仲が悪かったわけではない。両親ともに善良な人だった。それからしばらくして、「自殺」というものの存在を知った時か、それとも自分はただ死にたいだけであり、殺されたいわけではないのだと気付いた瞬間からか、夢の内容は自死の方へとスライドしていったのだ。

 目の前に、経年劣化の目立つ階段があった。それだけで、今日はこの夢か、と晶は理解した。
 一段ずつ、階段を登る。自分は何度この夢を繰り返すのだろう、と晶は思った。もう何度も見返したビデオテープの再生ボタン。それを押された時の、うんざりするような感覚。けれど、黙ってこの夢を見さえしていれば、また何事も無く目覚められるのだ、と言い聞かせる声も確かにあった。夢に限らず、自分の人生はこんなことばかりだったな、と晶は突然思い立った。誰かに助けを求めなくても、彼がひとりきりでじっと黙り込んでいたら、やり過ごせることばかりだった。それを良いとも悪いとも思わなかった。考えないようにしていた。
 階段を登るたびに、靴音が反響する。その音を頼りに、数を数える。そこでふと、「ヒースはどう思うだろう」と彼は思った。ヒースと、まだ仲直りをしていない。それをしないまま、自分は死ぬのだろうか。遺されたヒースの気持ちは? 実際に死ぬわけではない。これが夢だと分かっている。分かっているのに、晶はそう思った。自分が死ぬ夢を見ただけで、あんなに取り乱す彼を、置いていくのだろうか?
 晶は導かれるようにして、背後を振り返った。予感通り、階段の一番下に、彼が立っていた。青い瞳と、白い肌をした、おとぎ話のような容貌。今にも泣きだしそうな表情で、一心にこちらを見上げていた。
「ヒース!」
 そこに居ると分かっていた。居るはずがないとも思っていた。そんな心地で、晶は胸に飛び込むようにして一気に階段を駆け下りた。惹かれ合うようにして、ヒースも駆け寄り、身体を受け止めた。腕と腕が触れ合う。晶より体温の低い、冷たくて、なめらかな肌。自分が作り出した虚像かもしれない。頭の奥に浮かんだ疑惑を、その体温がかき消した。これは本物のヒースだ。
「ヒース」
 疑問はいくらでもあった、どうしてここに居るのか。どうして来れたのか。来れたとしても、仲違いした彼が、会いに来てくれるはずがないと思っていた。それを口に出す前に、ヒースが答えた。
「あなたが、俺を思い出してくれたから」
 ヒースが抱きしめていた腕をほどき、晶の肩を掴んで、上を向かせた。引き剥がされたとは感じなかった。こちらを覗き込む甘やかな青い瞳に吸い込まれ、晶の思考が溶けだしていく。彼の笑顔を久しぶりに見た、と晶は思った。ヒースの指が、晶の目元をなぞる。そのまま肌を伝って、横髪を指先ですくいあげて、甘やかな余韻を残しながら耳へ髪をかけてあげた。全身の細胞すべてが、その動作を感じ取るためだけに存在しているような気が晶はした。
「帰りましょう。もう、朝になります」
 ヒースが手を取る。いつの間にか、彼の背後には屋上へ続くものとは別の、螺旋階段ができていた。魔法舎にあるものと似た外見のそれを、ヒースに導かれながら一段ずつ下りていく。下りているのに、登っていくような感覚を足元から感じながら、晶は尋ねた。
「どうして、ヒースの方から声をかけてくれなかったんですか」
 言ってくれたら、俺はすぐに気づけたのに。そんな子供の癇癪じみた不満を言外に匂わせながら言うと、ヒースは少しだけ微笑んで、振り返りながら答えた。
「あなたの方から気づいてくれないと、意味がなかったんです。俺はずっと、そこにいたけど」
 どうして、俺の方からじゃないとダメなんですか。そう聞き返そうとしたのに、白んでいく朝の空気の匂いがして、それに気を取られて、何も言えなくなる。けれどヒースは、すべて分かっているかのようにこう続けた。
「大丈夫。また同じような夢を見ても、あなたの中の俺が止めてくれますから」
 疑問を抱こうとしたけれど、それもできないくらいに、覚醒の気配が頭を埋め尽くしていた。頭上から降りてくる目覚めの予感と、それに反してヒースの方に沈んでいく足元を感じた。足がもつれ、踏み外すものの、落下することはなく、まるで海に沈んでいくかのようにヒースの腕の中に抱き留められていた。そのまま、二人の身体が溶けあうにつれて、冷たいシーツの感触が晶を現実へと引き戻した。

「こんにちは、これからお昼ご飯ですか?」
 その数日後、魔法舎の廊下でフィガロと出くわした晶がそう声をかけると、フィガロは何も言わずにじっとその目を見つめ返してきた。
「えっと……?」
 思わずたじろぎ、半歩下がろうとするも、異様な形をした瞳孔が何故だかそれを押しとどめた。見下ろされているはずなのに、下からすくい上げるような視線が、「観察」という言葉を想起させた。なにか気分を損ねるようなことをしたのだろうか、そんな疑問を口にしようとした瞬間に、フィガロが言った。
「ヒースとは仲直りできた?」
「え?」
 晶はうろたえた。確かに気まずい期間が続いていたが、周囲には悟られないようにと振る舞っているつもりだったからだ。それでも、フィガロのような年長者なら勘づいていてもおかしくはない。
「すみません、もしかして、気を遣わせていましたか」
「ああ、違う違う。そういうことじゃなくてね」
 そこまで言って、フィガロは唇に指先を添えて、宙に視線を向けながら「どうしようかな」と呟いた。わけもわからず立ち尽くしている晶の前で「もう、言っちゃおうかな」とフィガロが言った。ひとりごとと言うには、晶に聞かせることを意識しすぎている物言いだった。
「ちょっと前、ヒースが俺にお願い事をしてきてさ」
「お願い、ですか?」
「君の夢とヒースの夢を繋いでほしいってね」
 晶の胸がどくりと鳴った。フィガロの言う意味は分からなかったが、聞いてはいけないことを、聞かされていることだけは伝わってきた。
「俺が、精神系の魔法が得意って知って、できるだろうと推測をつけたんだろうね。賢者さまには内緒にして欲しいって言ってきた」
「…………」
「だから、俺は言ってあげたんだ。『ファウストには頼めないことだって分かって俺のところに来たんだ?』って」
「…………」
「そしたら、すごい顔で睨んできた。お母さんのことを揶揄した時よりもおっかなかったよ」
 フィガロはくすくす笑った。その仕草だけ見れば、少女のように可憐に思えただろう。少なくとも、露悪とは遠い存在だと感じるはずだ。
「でも、そんな卑怯なことを考えるような子だったんだって思ったら嬉しくなっちゃって、タダで請け負ったよ。その間、毎日賢者様の夢に出てきたはずだけど」
「毎日……」
「そして、もう必要なくなったから、夢を繋ぐのをやめて欲しいって言いに来たのがついこの前」
 晶は、頭が痺れるような心地を覚えながらフィガロの言葉を聞いていた。
「で、どうだった?」
「え?」
「本題。仲直りはできた?」
「それは……」
 晶は言いよどんだ。フィガロが顔を寄せる。内緒話をするみたいに。しかしそんな可愛らしい動機がこの男にないことを晶は知っている。眼球の奥、真意まで見透かそうとするかのような目が晶を凝視する。「それは、もう、」乾いた口内で、もつれる舌を無理やり動かして晶は言った。
「それはもう、前以上に仲良くなれました」
「ああ、そう。それは良かった」
 フィガロは不気味なほどあっさりと言った。それ以上追及することもなく「じゃあね、若い子同士仲良くね」と言い残して去っていった。
「……」
 俺はずっと、そこにいたけど。ヒースはそう言っていた。本当に、ずっと居たのだろうか。飛び降りる夢の時も、首を吊る夢の時も、感電死を待ち望む夢の時も。晶の視界の外で、浴槽に座り虚空を見つめる後ろ姿を、黙って眺めていた? あの、二週間ほどのあいだ。ヒースの存在にようやく気づけたあの夜も、本来なら晶が自殺するのを、見守るだけだったのかもしれない。晶が彼を思い出すまで。壊れたビデオテープ。飽きるほど繰り返し見てきた退屈な映画。
 不意に、晶は勢いよく後ろを振り返った。視界の端、ヒースクリフの靴先が映ったように思えたのだ。勿論、それはただの錯覚だったのだが。