この部屋には何もない3

 私は生まれた時からずっとまっすぐな髪をしていた。大人になった今は、さすがに幾らかの傷みが毛先に出ているけれども、以前は櫛で髪をとかしている時にひっかかるなんてことはなかった。
 今でも、朝起きた時に寝癖がついていることはあるものの、特に直したりしなくとも、そのまま朝食を食べるなりぼーっとするなりして時間を潰していれば、いつのまにか寝癖は取れて真っ直ぐな髪に戻っているのだ。
 私は元来着飾ることが好きではなく、白いブラウスと足首まであるスカートがあればもう充分だと思っていた。母はこのような振る舞いを良いことだと思っていたらしい。女性が服や靴にお金をかけること、着飾ることに執心することをふしだらで恥ずかしいことだと考えていたようだ。
 母は神経質で盲目的で、その上ひどく独善的な信仰を持っており、日常生活や教育にもその影響が及んでいた。ずいぶん時代遅れで脅迫観念的なものだったと思う。その「思想」の中に節制すべきというものがあった。前述した「着飾ることは恥」であるという考えもここから来ていた。母の思想については色々思うことはあるけれども、その一貫した部分だけは尊敬できるところだと私は内心思っていた。
 しかしそんな母が、いつもと少し違った様子で、しみじみとこう言ってみせたことがある。「あなたがそんな格好でいても様になるのは、その髪のおかげでしょうね」その当時私は、飾り気のない白いブラウスを着ていた。母の視線は、肩から胸にまで垂れているまっすぐな髪に注がれていた。
 私はこのことを今でも良い思い出として記憶に残している。美しいか否かというより、母親から一瞬だけでも「思想」を引き剥がしたのだという事実が嬉しかった。

 私の母は、おそらく「貞淑」だった。その意味ではあの時代の妻に求められる役割を執行していたとも言える。そのうえ、盲信的であり強迫観念に囚われていた。酒や煙草を嫌悪し、生殖器というものがこの世に存在することを私に教えたがらなかった。
 母親の影響というわけでもないが、私も酒は苦手だ。弟は逆にアルコールに強い。酒を飲める年齢ではないのだが、家では当たり前のように飲んでいる。顔が赤くなることも、呂律が回らなくなることもない。私は時々、彼が酒の空き瓶に水を入れて、それを飲んで私を騙してるのではないかと思っている。
「また母さまの話してる」
 弟は頭の後ろに手を組んで、つまらなさそうにしている。母親のことが嫌いだから、ではない。そもそも彼は「私の母」を知らない。弟は、父の後妻にできた子供というわけではなく、連れ子とか養子というわけでもない。母親は違うし、父親も違う。遠縁が重なり合っているわけでもない。血の繋がりは一点もない。つまりは「そういうこと」だ。
 私たちは姉と弟を自称し合っているだけの他人だ。