インターネット・ミームと「すごい一体感を感じる」

毎日インターネットを彷徨っている皆様におかれましては、電子世界で共通言語のように使われているインターネット・ミームについても私と同じくらい詳しいかと思われます。
このインターネット・ミーム、人気のものであればあるほど下品で低俗という性質があり、昨今の「●」が最たる例でしょう。アダルトビデオが元ネタなうえに、現在進行形で当事者の人権を無視した音MADや実況動画が量産されているなんて悪夢そのものでしかない。

そもそもこういったミーム・語録はある意味「当事者だけに伝わる合言葉」のようなもの。「どうぶつの森」で、つねきちの発した前の句に合致した下の句を言わなければ会員制の店に出入りできないことと同じ。
ネタが伝わるか・伝わらないかで相手を選別し、それをクリアできたものだけが会話に加わることができる。そうして精鋭化されていったグループは自然と一定以上ネットに毒された者だけになるので話題に気を遣う必要がない。一般人に対してどれだけ濃いオタク話をしていいものか……とオタク側が頭を悩ませる必要もないし、一般人側に不快な思いをさせる危険性もないので大変便利な代物なのだ。

それを考えると、インターネット・ミームが下品なものになるのもある意味納得というか、一般人からすると目をそむけたくなるような代物であればあるほど、合言葉として使いたい側からは便利なのかもしれない。
以前ここでインターネットの性質として「秘されたものは、秘められるに値するものに変貌していく」論を語ったが、インターネット・ミームも当事者だけの暗号としての性質ツリーを伸ばしていった結果、より下品なものがポピュラーになっていった可能性もある。

今の淫●の惨状を見ると、小学生時代の暗号そのものだった「らんらんるー」なんて可愛いものだろう。マックのドナルドがCMで口にしていた言葉が元ネタなのだが、いつの間にか「しねしね消えろ」という意味が何故か付与されてしまった(勿論元ネタにそんな意味はない)
あまりに広まりすぎて教師の耳にもその意味合いが伝わり、学校によっては「らんらんるー禁止令」という緘口令が敷かれることとなった。大人になった今、禁止したくなった教師の気持ちも分からなくもないが、今の淫●に比べたらまだ可愛いもんだと思う。

こういった「ミームの合言葉化」は、スマホの台頭によって激化したように思える。ネット人口が増え、オタクしかいなかった場所に一般人もなだれ込んできた。SNSという、全く違う属性の人間同士が入り乱れる場所で、インターネット・ミームは「関わる人間を選別するための手段」としてあまりにも便利すぎた。
今日もSNSでは数多のインターネット・ミームが飛び交っているのだろう。

「すごい一体感を感じる」

せっかくの機会なので、インターネット・ミームの中で私が一番好きなものを挙げようと思う。「すごい一体感を感じる」がそれだ。
自分は平成中期が一番インターネットを彷徨っていた頃であり、趣味嗜好もこの頃の空気に引っ張られているのだが、前述した「すごい一体感を感じる」もこの時期のものである。

すごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。
風・・・なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺たちのほうに。
中途半端はやめよう、とにかく最後までやってやろうじゃん。
ネットの画面の向こうには沢山の仲間がいる。決して一人じゃない。
信じよう。そしてともに戦おう。
工作員や邪魔は入るだろうけど、絶対に流されるなよ。

このコピペ(ミーム)が生まれた経緯はニコニコ大百科で分かりやすくまとめられているので詳しくは割愛するが、2chのニュー速民が毎日新聞社に訴訟を起こそうとしている最中に投稿された、一個人の書きこみが元ネタであるとだけ知ってくれればいい。

魂の言葉」と各所で形容されている通り、簡単には模倣できないだろう鬼気迫る文体だ。
ミームとして流行った後の改変例だと、この「すごい一体感」の部分が「すごい孤独感」になったり「すごい寒気」になったり「すごい残尿感」になったり「すごい何も感じない」になったりする。もうなんでもありだな……

序盤で、昨今のミームを下品で低俗と表したが、この平成中期からのミームはそれとは少し空気が違っていて、「狂気」とも言えるものが満ちていると私は感じている。しかも江戸川乱歩のような名だたる文豪が書き表す重厚な狂気とはまた違う、言ってみれば「混雑した電車内で、突然叫び出す狂人」を目の当たりにしたかのような……。

別の記事でも語ったが、平成という時代はとにかく暗い。
1999年に起こる世界滅亡の噂、そこから派生したオカルトブーム、カルト宗教による大規模事件、リーマン・ショックによる長期不況など、陰鬱な事柄が続いていた。令和の今も暗いと言えば暗いのだが、それとは違う種類の暗さがあった。
オタクカルチャーも現実のそれに引っ張られていたのか、エヴァやFF7を発端とした「自己の欠陥と向き合う物語」のブームが平成中期まで尾を引いていた。

そんな空気の中だからこそというか、当時一番ネット人口の多かった2chではこうした一種の叫び・祈りじみた鬼気迫る言葉が頻繁に見られた。鬱々とした現実世界を置き去りにして、こうした狂気がまるで彗星の尾のようにネット世界を凄まじい速度で駆け抜けては輝いていく。
当時のネットは現実から隔離された場所であり、周りを見渡しても同族しかいない。人目を気にせず発せられた言葉には、昨今の「他者の目を気にして発言しなくてはならないSNS時代」には無い迫力が確実にあっただろう。

最近は新しいミームが生まれてはすぐに消費されて忘れられていく。1カ月もすれば流行のミームが入れ替わっている時代だ。そんな中で「インターネット・ミーム」そのものにここまでああだこうだ語っている自分は時代遅れなのだろうけど、おそらくこの時代の異様な迫力を持ったミームたちに今でも心を囚われているせいかもしれないと思った。