「魔法使いの約束」というソシャゲに一時期はまっていました。シナリオやキャラクター造形の秀逸さもさることながら、自分が一番気に入っていたのはこのゲームの「システム」部分です。もっと具体的に言うと、「キャラクターを知っていく過程部分」にある。
システムとしてのコミュニケーション

ゲーム内に「スポット」と呼ばれる周回ステージが存在し、一つのスポットにつきキャラが一人当てはめられています。例えば「死の湖」にはミスラが、「時の洞窟」にはブラッドリーがという感じ。

そして各スポットで周回作業をしていると、こんな風に割り当てられたキャラの小エピソードが挟まってくる。
おそらく500字にも満たないSSS(ショートショートストーリー)なのだが、これがまた面白い。短い中にそのキャラの内面がギュッと凝縮されている。単なる掛け合いに終わらず、そのキャラの過去や、その性格になるまでに至った過程が、ふっと表出しては過ぎ去っていくのだ。
Twitterという、140字の中にネタを詰め込みバズを狙うようなSNSにどっぷり浸かっていたオタクなので、このシステムが本当に性に合っていた。短い中に、ちゃんと起承転結がある。オチもある。キャラクターの内面を知れる。ちゃんとした一本のストーリーを読むとなると、仕事で疲れてる日なんかは「また今度にしようかな……」と思ってしまうのだが、これくらいの短さだと気負いせず読むことができた。
ちなみに上記は〈大いなる厄災〉という自然災害への愚痴を後半語っているのだが、その最後に取ってつけたように「あ、もちろん、きみに会えたことは嬉しいけどね」と付け足すシーンです。
メタ的なことを言うと、ゲームキャラとしてはプレイヤーの質問にただ答えるだけで十分というか自然なのに、こちら(プレイヤー)からの好感度を気にしてリップサービスを付け加えているところに人間味があって好き。
自分がこのエピソードシステムを踏まえたうえで一番好きなキャラは、上記画像にも出ているフィガロです。明らかにこちらの予想にない返しをしてくるところが気に入ってる。
東方香霖堂で「会話というのは、相手が次に言う事を予想出来るから成り立つのだと思う。予想出来ない言葉は念仏の様なものだ」とZUNが書いていたが、フィガロの会話もまさしくそんな感じで、こちらの思考回路ではおおよそ理解しがたい返答ばかりなので「え?」と聞き返したくなったり、つい前後の会話を再確認してしまう。全く違う社会で育った人間・または未知の生物と会話すると、こういうことになるんだろうなと感じる。

賢者「フィガロはどんな時に怒ったりするんですか?」
フィガロ「唐突だね、賢者様。もしかして、俺に怒られてみたいの?」
賢者「い、いえそういうわけではなくて、フィガロはいつも優しいので、どんな感じなのかなーって少し気になって」
もっとメタ的なことを語るが、こういう「プレイヤーがキャラのパーソナルな部分を知ろうとした時」って、「キャラがその質問に答えること」が一番満たすべき要件であり、そこに追加されるものがあるにしても、他キャラの情報だったりより深いパーソナル部分であるだろうに、フィガロは「逆にプレイヤーの情報を探ろうとしてくる」のがかなり新鮮で楽しかった。
現実世界での質問返しは雑談内ではむしろ自然だとは思うのだが、ゲーム世界で、なおかつソシャゲというプレイヤー側の情報が意図的に不透明にされやすい媒体でこのやり取りを頻繁にされるのがフィガロというキャラの面白さを増していた。
話をシステムに戻すと、これの素晴らしいところはキャラに「愛着」を持てることだと思う。自分の意思で掘り進めていかないとそのキャラについて深く知ることができない。しかもこのエピソードはどれが見れるかはランダムで、何十回と周回しても全て網羅するのはかなり難しい(上記スポット画像で、エピソード取得率が93%~ばかりなのもこのせいである)
これは現実でのコミュニケーションと似ていると思っていて、日々の何気ない雑談を短時間でもいいから積み重ねて、そうしていくうちにふっと相手のパーソナルな部分を知れる、それを繰り返して仲を深めていく。ただストーリーを受け取るのではなく、選択や周回を通じて“関わった”という実感を得る。その積み重ねが「愛着」となり、単純な好き嫌いとはまた別の愛おしさや寛容を相手に抱いていく。
現実のコミュニケーションがまさしくこれで、フィクションの世界だと相手の命を救うかなにかして、一気に仲を深めるのはよくあるけれど、現実世界でそんな劇的なことはそうそう起こらない。
漫画だと「過去編」と称してキャラのこれまでが一気に開示されたりもするけれど、現実ではそうもいかないので、パズルのピースを組み合わせるみたいにして、日々のおしゃべりで知った情報を少しずつ組み立てて私たちは相手の過去を知れる。その中に幾ばくかの嘘があることも考慮しなくてはならない。自分をよく見せようとしての嘘なのか、こちらを傷つけないようにしての嘘なのかは分からないけど。
一人の女の子の人生と向き合う
一時期、ギャルゲーやエロゲーがオタク界隈で覇権を取っていた時期がある。現代の原神・FGO並みに、エロゲがオタク間で共通の話題になっていたのだ。エロゲ自体をプレイしたことは無くとも「あ~このピンク髪の子、○○って作品の子だよね?」という風にキャラだけは知っている人もいた。現代で言うと「FGOはプレイしてなくてもマシュというキャラは知っている」ような人が大勢いた時代である。
なぜそこまでエロゲーが人気だったのかというと、シナリオの面白さもそうなのだが「そのキャラクターを攻略している実感」を得られたからに違いない。
ただシナリオを読むだけなら、小説でいい。ただキャラクターを楽しむだけなら、アニメや漫画でいい。しかしそのキャラクターのために、選択肢を選び、パラメーターを調整し、ターン数や好感度を気にかける。その「手間」が、実際にリアルで一人の女の子と向き合っているかのような錯覚を得られたからに違いない。
ノベルゲームをプレイすることは、単に数十万の文字を追っているのではなく、女の子の人生を追うことに等しい。合間に挟まれるエロシーンも、一人の女の子の人生を書ききるために必要だったからこそ付随されたように思えてくる。古のオタクは、そんな真剣さでエロゲー・ギャルゲーと向き合っていた。
まほやくは、そういった美少女ゲームにあった楽しさを久々に思い出させてくれた。まほやくは一応、「魔法使いと心を繋ぐ育成ゲーム」と公式から題されているので、キャラと恋人同士になれるわけでもないしエロシーンも勿論存在しない。どちらかというとキャラ同士の人間関係をプレイヤーが外から見守っていると言った方が正しい。でも、コミュニケーションを、信頼を構築していく実感をゲームで得られるのは間違いないだろう。
完全に自分語りになるのだが、まほやくにはまっていた時期は、リアルで人間関係の停滞を感じていたので、より新鮮にこのシステムを楽しめた。フィガロはどれだけ会話をしても底が見えない。どんな返答をされるかの予想もつかない。だからこそと言うべきなのか、理解していく過程が楽しかった。
それはそれとして、殺した相手の苗字を自分のものにして名乗るその精神は未だに理解できずにいる。ドヤコンガさんか?
余談
お気に入りの会話があって、フィガロの親愛ストーリー「迷子の大人」内の選択肢分岐会話で

フィガロ「怖くて強大な北の魔法使いよりも、素朴な南の魔法使いの方がいい人そうだろ? 北出身だと言うと、誤解されるからね」
>フィガロはいい人ですよ。
フィガロ「ありがとう。きみみたいな子、楽ちんで好きだよ」
賢者「えっと……。(以下略)」
>どうして、いい人ぶるんですか?
フィガロ「おっと、なかなか、鋭い切り口の質問をしてくるね」
賢者「す、すみません……。」
フィガロ「自分ではそこそこ、いい人だと思ってるんだけどな。優しいし、面倒見がいいし、包容力もある」
フィガロ「でも、そう言われちゃうってことは、俺には何か欠けてるんだろうね」
賢者「……。」
ふたつある選択肢のうち、どっちを選んでも後味悪いことって、あるんだ(驚愕)となった。
こういう時にプレイヤーの返答が「えっと……」か「……(無言)」しかなく特にフォローも無いのもフィガロのキャラクター造形、ひいてはフィガロをどういうキャラクターとして見せたいのかが感じられて好きです。