この部屋には何もない4

 私は気が利かない性格をしているうえに、他人よりぼんやりしているので、将来職を得ることができるのだろうかと母親だけでなく私自身も心配していた。しかし絵の才能に恵まれたおかげで、どうにかこうにか今も生活できている。
 絵は昔から得意だった。何かにつけてよく褒められていた。多分、私に褒めるべきところが他になかったせいもあるだろう。私が社交的で陽気で愛嬌のある性格をしていたら、絵の腕よりもそっちの方を褒められていただろうから。
 
 反対に、弟は絵の才能に恵まれていなかった。正確に言い直すと、他人より絵を描く才能があるはずなのに真剣に絵と向き合おうとしなかった。
 例えば彼は私の絵を指してこう言ってみせる。
「姉さまが描いたキャンバスの中の木の幹に、細かい凹凸があってそれに沿って影ができているのは分かるんだよ。腕の表面に浮いた血管みたいにね。でも、現実世界の木を見ても、そんな凹凸があるようには俺には全然見えない」
 変な言い分だ、と私は思ったのだが、弟は真剣に続けた。
 その木に意識を集中させれば絵と同じものが流石に見えてくる。けれど意識を外して、木を風景の一部としてぼんやりと眺めた時には、その影も凹凸も視界には入らない。集中しなければ見えてこないものは、実際無いのと同義だと彼は言うのだ。

 私がレースやフリル地の絵を描いていると、「どうすればそんなに描けるようになるのさ」と弟が尋ねてくることもある。
「実際に人が着てるところを見るのよ」
と私は答えた。
「例えば目の前に、レース地の服を着た貴婦人が立っているとするでしょう? そうしたら、絵筆を手に持っているつもりになって、視界の中でそのレースをなぞって、頭の中で実際に描いてみるのよ。これをすれば、どうやったら描けるのかの動線が見えてくるの」
 私は弟に興味を持ってもらえるよう、精一杯頭をひねって面白そうな言い回しをしてみたのだが、弟の興味は別のところに行ってしまった。
「だから姉さまは人のことをじっと見つめるんだ」
「見つめる?」
「初めて会った人相手にも、一秒も視線を外さないでじーっと見つめながら自己紹介してたりするじゃん。戸惑うよ、あれは」
 私は少し恥ずかしくなった。
「だって、人の目をちゃんと見ながら話しなさいって子供の頃に言われるでしょう」
「でも、頃合いを見てたまに別のものを見たり、笑った時に自然と目線を外したりするものだよ、大人っていうものは」
 弟が言うには、それこそ物心つき始めたばかりの子供が、じっと大人を見上げている時と同じような目つきであるらしい。ある程度成長すると、「転ばずにいられる歩き方」や「握らずに済むスプーンの持ち方」を誰もが身につけるのと同じように、視線の外し方も人はいつかは皆習得するのだと。
 全く知らなかった常識の話をされて、私はまごつきながら「でも、人の目を見ながら話しなさいって言われるでしょ」とさっきと同じことを繰り返すしかなかった。