人殺したちのたわむれ

初夏の心地よい日だった。日差しは暖かいのに、風はちょうどいい塩梅で冷えている。温まった体の隙間を、ひんやりとした風が吹き抜けていくのはひどく気持ちが良かった。
今晩のねぐらとして上がり込んだ、廃れた寺院の大広間の中心で、蛮骨と煉骨が顔を突き合わせてなにやら話をしている。並んで座っている二人の間から、見取り図のようなものが見え隠れする。おそらく、次の戦の段取りを話し合っているのだろう。
そしてその二人からやや離れたところで、兄貴分たちの後ろ姿を眺めているのが、蛇骨と霧骨の二人だった。
蛇骨は壁に背中を預け、あぐらをかいて座っている。そしてそのあぐらの中に座るようにして、霧骨がちょこんと座っていた。ちょうど、蛇骨の両足に囲まれているような形だった。
霧骨の頭上で、蛇骨が「ふああ」と大きな欠伸をしてみせる。そして、ほっかむりに覆われた霧骨の頭に顎を乗せた。
「退屈だな」
「俺はそうでもないぞ」
蛇骨が喋るたびに、がくがくと動く顎の振動が霧骨に伝わる。
「これから毒の調合をしなきゃならねえんだ」
「やればいいだろ」
「んじゃ、この手を離してくれよ」
蛇骨は返事をしなかった。霧骨の両手は今、猫の手のような握りこぶしを作っている。そしてそのこぶしが、背後から伸びる蛇骨のそれぞれの手に包まれていた。
蛇骨は自身の手の中にある霧骨のこぶしを、まるでお手玉のようにポンと宙に放ってみせる。そして重力に従って落ちてきた拳をまた捕まえて、幽霊のようにぶらぶらと揺らしたりして遊んでいた。
このようにして、手持ち無沙汰な時に霧骨で遊ぶのが蛇骨の悪い癖だった。蛇骨が時間を潰そうと思った時、読書を楽しめるような教養を彼は持ち合わせておらず、一番の趣味である男漁りも、彼のお眼鏡に叶うような色男はそうそう居ない。だからといって鍛錬に打ち込むような生真面目さも持ち合わせていない蛇骨にとって、霧骨はちょうど良い暇つぶしの相手だった。
そして霧骨も、なんだかんだで蛇骨のじゃれあいを大人しく受け入れていた。元々が世話好きというか、まとわりつかれると引き離せないたちなのかもしれない。こんな風に蛇骨を振り解く素振りも無いのを見る限り、先ほど口にした毒の調合も、今すぐに戦が始まるわけでもないからと、後回しにするつもりのようだ。
蛇骨は手の中で、霧骨の握りこぶしをぐにぐにと揉みながら声を上げる。
「こーいう日は、おめえに抱きついてるのが一番だな」
何が一番なのかと言うと、霧骨の低い体温が、暖かい初夏の日を過ごすのにちょうどいいという意味である。霧骨は普通の人間に比べて、平熱が随分と低い。いくつもの毒を体に染み込ませたせいで、血の巡りが悪くなっているのかもしれない。ゴム質のような触り心地の肌と相まって、まるで粘土に触れているような気がしてくる体だった。蛇骨にとって、そんな霧骨の体に触れているのが心地よいらしい。
「一番でも二番でもいいけどよ、あんまくっつきすぎんなよ」
「なにつれねーこと言ってんだ」
「そうじゃなくて、毒にやられるかもしれねえって意味だよ」
唾さえ猛毒になる彼のことである。ただの汗や呼気でさえ、知らず知らずのうちに仲間を傷つけてしまう可能性も無くはない。彼の全身を覆う白布も、防毒のためというより不用意に仲間へ毒をばら撒かないための意図の方が大きかった。そんな風に霧骨なりに仲間を気遣った故の言葉だったのだが、蛇骨はそんなことお構いなしのようだった。
「んなこと気にすんな。そんなんでやられるほど、蛇骨さまの体はやわじゃねえから」
「そんなら良いんだけどよ」
そう言って、霧骨は顔を上げた。大広間と繋がった縁側の向こうにある、瑞々しい空を見上げて言う。
「明後日は晴れるといいな」
明後日は、彼らが雇われた戦の日である。
「そーだな」
「ついでに風の向きが南西だと良い」
「そこまでは知らねえけどよ」
毒をばら撒く霧骨にとって、風向きは天気以上に気にしなければならないものである。場合によっては、戦には出ずに留守番という可能性もある。
不意に、涼やかな風が大広間を抜けて、霧骨の鼻先を撫で上げた。その心地よさに、痺れにも似た眠気が湧き上がってくる。霧骨は知らず知らずのうちに、うとうとと船を漕いでいた。
次に霧骨が目を覚ましたのは、まぶたの裏が暗くなったのを受けてだった。目を開けると、大きな影の中に自身がすっぽりと収まっているのがわかる。古びた畳が一面に映る視界の端で、白い足袋を履いたつま先があった。顔を上げると、すぐそばまで近寄っていた兄貴分二人が、こちらを覗き込んでいた。逆光のためか、二人の顔がやけに黒々としていて、それが逆に二人の端正な顔立ちを目立たせていた。
「兄貴……?」
「おう、起きたか」
蛮骨がくしゃりと顔を歪めて笑う。作り物じみていた無表情から、一転して随分快活そうな顔になった。
「悪い、寝てた」
「別にいいよ。起きてろって言ったわけじゃねえし」
霧骨は姿勢を正そうとしたが、背中にのしかかっているものが重すぎて叶わなかった。おそらく、眠っている蛇骨だろう。寝息らしきものがほっかむり越しに聞こえてくる。
「起きろ。霧骨がカエルみたいに潰れるぞ」
煉骨が足蹴にしてようやく、蛇骨がうなり声を上げて身を起こした。涎をすする音が聞こえる。目を覚ましても尚寝ぼけているとみえて、兄貴分二人を見上げての第一声が「飯は?」だった。
「お前な……」
「いーじゃねえか。微笑ましくてよ」
呆れる煉骨を、蛮骨が諌める。
「しっかし、蛇骨が女だったら霧骨も相手してもらえただろうによ。残念だったな」
「えーっ、何言ってんだよ兄貴」
「おい、そんな露骨に嫌がんな」
蛇骨の言葉に、霧骨も流石に傷ついたと見えて声を漏らす。
「しょーがねえだろ。女になるなんて生まれ変わっても嫌だぜ俺は」
「いや、そっちの方かよ」
「そっちって何だよ。それしかねえだろ」
蛇骨と霧骨の言い合いは、蛮骨の「あっはっは」という気持ちの良い笑い声で遮られた。寝起きの鼓膜を破るような声に顔を上げると、それを押さえつけるようにして二本の腕が伸びてきた。そのまま、二人の頭がぐっと下を向かされる。
「うおっ」
「うわっ」
見ると、蛮骨が両腕でそれぞれの頭を撫でてやっていた。がしがしという音さえしそうな勢いで、二人の髪がめちゃくちゃにされる。まるで犬か猫にでもなった気分だ。そこに、機嫌の良さそうな蛮骨の声が降りかかる。
「お前ら見てると、兄貴分やってて良かったって思うぜ」
それを聞いた二人は、なんだか決まり悪いような、気恥ずかしいような気持ちになって、そのまま何も言わず蛮骨の手を受け入れることしかできなかった。