アルハイゼンの舌に、口の中を探られるのが好きだった。濡れた粘膜の隅々まで、彼の舌先が触れていく。ただそれだけで、手指から力が抜けていくほどに気持ちよかった。
キスをしたまま、ベッドに組み敷かれる。彼に覆いかぶさられたので、その背中に手を這わせた。僕よりもずっと体が分厚い。彼が身じろぎするたびに、皮膚の下にある筋肉も一緒に動いているのを感じる。こうやって、彼のような体格の男とセックスするのが、自分は好きなのかもしれない。自分よりずっと鍛えられていて、素手では勝てそうにない男にねじ伏せられて、体を好きなようにされるのが。
セックスをコミュニケーションの一環として扱わずに、こういう独りよがりな欲のために行う、それは褒められるようなことではないのだろう。世の大多数の目には、醜悪で不健全な行為として映るに違いない。そもそもとして僕自体が、他人には醜悪に見えていそうだ。
「何を考えている?」
「なにも」
彼の目がまっすぐにこちらを見る。素面であれば、その視線に怖気づいていたかもしれない。彼のなにもかも見透かしていそうな目は、時として人に恐れを抱かせる。特に、後ろめたいことがある奴らにとっては。けど今は、アルコールのおかげで頭がふわふわしていて、他人事みたいに感じられた。
そういえば、どんな流れがあって彼とこういう事をしてるんだろうか。彼と寝ること自体は、今まで何度もしてきたから特別珍しい事ではない。けれど、酒でひたひたになった頭のせいで、ベッドに移動するまでのことを思い出せずにいるのは、なんとなく気持ちが悪かった。
彼の手が背後に回り、シャツの結び目をほどく。既にいくらかゆるんでいたので、さして時間を取らずに済んだ。シャツの布地が流水のように肩をすべり、肌があらわになる。下も同じように脱がされていった。その合間にまた口を塞がれる。舌を吸われて、痺れるみたいに気持ちよくなる。互いの唾液が、口の中で混ざり合った。
「いやになったら、いつでもやめていいからな」
自分以外の唾液に濡れた舌で、そう口にした。
「抱きたくなるような男じゃないだろ、僕は」
どうしてそんなことを言ったのか、自分でもよく分からない。ただ、本心から言った言葉であるのは確かだった。特別肉つきがいいわけでもない、薄い体をしたこの男を、どうしてアルハイゼンが時々抱きたがるのか、僕はよくわからないでいた。
彼が目を細める。瞳孔の赤い部分が、目の中で膨れ上がったかのように錯覚した。
「言われなくても、そうしたいと思ったら俺は実際にそうする」
「うん」
「いま君とこうしているのも、俺がしたいと思っているからだ」
脚を持ち上げられる。硬く張りつめたものを、後ろの穴に押し当てられた。切っ先が、入口を押し広げていく。
「あ」
口が半開きになって、唾液が自然とこぼれた。彼のモノが、中のあちこちに引っかかりながら、甘やかな電流を生み出していく。腰が震えて、それをたしなめるように脚ごと押さえつけられて、手に込められた力の強さに、腰の奥がよりぐずついた。「前から思っていたんだが」とアルハイゼンが口にしたのは、その時だった。
「どうして自分をいじめたがる?」
「え」
「どうして君は、自分を貶めるようなことばかり言うんだ? 特にこういうことをしている最中に」
そう訊ねるアルハイゼンの視線に、悪意は微塵も浮かんでいない。ただ純粋に、疑問に思って口にしただけのように思える。だからこそ、顔が一気に熱くなった。自分の醜悪な部分を、鏡で見せつけられたような気持ちになって、両腕で自分の顔を隠す。彼と目を合わせたくなかった。その瞬間に、腹の底を乱暴に揺さぶられる。「あ」と声が漏れ出た。
「そうやって卑屈になっておけば、俺から憐れんでもらえると思っているのか?」
「ぁ、ちが、そうじゃ、」
律動が始まる。アルハイゼンの声が、いつもと違う響きを持ち始めているのに気がついた。喧嘩をしている最中に、こちらを言い負かそうとしている時のものとよく似ている。ただ、それともまた少し違っていて、こちらを暴こうとしているような、穢そうとしているような意図を感じた。
「そのうえで、俺が君とこういうことをしている理由が、好意以外のものであって欲しいんだろう? 同情か、ただの性処理のためか」
「ちがう」
「違わない」
彼が耳元に唇を寄せて、吐息と一緒にこう囁いた。
「そういうことにしておけば、君にとって都合がいい」
囁くためにあるような彼の声が、耳の穴の凹凸ぜんぶを撫で上げるように触れてきて、それだけでこの場から逃げ出したくなった。時々、アルハイゼンの声や指先その全てが、こちらを責め立てるために在るような気がしてくる。今がちょうどその時だった。
不意に、こちらに語りかけている時とは別の声で、ひとりごとのように彼がこう漏らした。
「俺のことが好きだから、君はこんな風に体を許しているのかと思っていた」
意味を理解しようとする余裕はなかった。律動に合わせて、肉体が快感を拾おうとする。今まで散々彼に抱かれてきたこの体が勝手にそうするのだ。頭がくらくらする。なにも分からなかった。分からないなりに、心に踏み込まれようとしているのだけは理解していた。彼の声がさっきまでの調子を取り戻す。
「それで君の気が晴れるなら、この遊びに付き合ってあげてもいい。ふたりきりの時にだけ」
彼が乱暴に奥を突く。視界に星が散った。頭が真っ白になっていく。快感を得るための神経だけが、引き絞られていくのを感じた。
火照った頬がむず痒いと思ったら、いつの間にか泣いていた。まるで壊れた蛇口みたいに、だらだらと涙が垂れ流されている。馬鹿みたいだ。自分みたいな男が泣いていたって、可愛げもないし、憐れんでもらえるはずもないのに。
酔いから醒めつつある頭が、ここに至るまでのことを少しずつ思い出そうとしていた。
あの時。自分は一人きりで、とある酒場にいた。いつものように酒をあおって、とりとめもないようなことを考えていた気がする。そこで、店員の一人に声をかけられた。
「気分がすぐれませんか」
若い男だった。「一度風に当たっておきましょう」と店の外に連れられたのは、正直気が進まなかった。それでも言う通りにしたのは、赤の他人である彼に気遣ってもらえたことが嬉しかったからだ。外に出ると、生温かい夜気が肌に張りついた。
アルハイゼンに似てるな。男を見て、ぼんやりとそう思った。鍛えられて分厚い体も、広い肩幅も。顔は、酒のせいで覚えていないけれど、きれいだったような気がする。その中で、甘い香水の匂いだけが彼と明らかに違っていて、その明確な差に頭がくらくらした。
男が、気遣うようにこちらを見る。ほとんど無意識に手を伸ばしていた。縋りつくように彼に身を寄せた。男の体がこわばった。触れ合った肌から、彼の戸惑いが生々しく伝わってくる。失敗した、と瞬時に思った。けれど、一瞬の間のあとに、男の方から噛みつくように口を塞いできた。自分もそれに応えた。舌が絡み合う。いつも同居人としている時のようにはいかず、口の端から唾液がわずかに溢れた。男の手が、背中のシャツの結び目にかかる。衣擦れの音を立てて、ほどけていく気配がした。その時だった。見知った声が背後から聞こえたのは。
「ずいぶん酒を飲んだようだな」
突き飛ばすようにして、男が素早く身を離した。怯えるように目を泳がせて、声のした方を見ている。自分は、振り返りもせず突っ立って、ぼんやりと男の胸元を見ていた。さっきのは、アルハイゼンの声だろうか。そう思いながら、夢を見ているような心地でそこに突っ立っていた。幻聴か何かだと思っていたのかもしれない。後ろから腕を引き寄せられて、アルハイゼンの胸にもたれかかってからようやく、彼が本当にいることを理解したのだ。
なんでいるんだ、と声には出さずに視線で尋ねる。
「迎えにきた」
アルハイゼンはそう答えた。掴んでいる腕を離さないまま、あの店員を見ている。
「友人が迷惑をかけて悪かった」
いつも通りの、起伏の感じられない声だった。顔に浮かぶ表情も、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えない。しかしそう思っていたのは自分だけだったのだろうか。店員はアルハイゼンの視線からすぐにでも逃れたそうに、顔を動かさないまま落ち着きなく周囲へ視線を走らせている。冷ややかな声で、アルハイゼンが続けた。
「どうやら、酒に酔ったせいで君のことを俺だと勘違いしたらしい」
それから、家に着くまでのことはあまり覚えていない。腕を引っ張られ、無理やり家へと連行される間、ほどけかかったシャツの留め具も、他の男の唾液で濡れた唇も、そのままの状態だったことだけは覚えている。
いま、自分の唇は、アルハイゼンの唾液と自分の唾液とで汚れている。
「は、は、ぁ」
犬のように舌を突き出して喘いた。そうしながら、何もかもが嫌に思えた。この馬鹿みたいな声も、喘いでいる自分も。覆いかぶさっている彼の肩を掴んだ。そこに爪を立てる。本当は押しのけたかったけれど、力の抜けた指先ではそれさえもできない。
「はなれろ」
ろれつの回らない声で言った。返事は返ってこなかった。むしろ、いっそう強い力で抱き寄せられる。密着した体が、逃げたくなるほどに熱い。怒張が、より深くまでねじ込まれる。
「ぁぁ、あ、あ、いやだ、」
「嫌じゃないだろう」
アルハイゼンの手が、触れられていなかった前の方を絡めとる。ぞわりと肌が粟立った。そこは既に勃起していた。愛撫が始まると、抗いようのない波が腰へ昇っていくのが分かった。首をいやいやと振る。
「あ、ああ、やだ、こわい、いやだ」
「本当に?」
囁かれたその声が、血の中まで溶けていくような心地がした。逃れたい一心で、彼の体を足先で蹴る。すぐに膝で押さえこまれた。逃げられない。その焦燥が、なぜだか快感を高めていく。
「これでも、行きずりの男としていたいか? 病気持ちかも分からない相手と」
ぐしゃりと胸の奥がつぶれる。アルハイゼンにはきっと分からない。その場限りの相手だからこそ、委ねられるものもある。自慰と一緒だ。何もかも知られている相手からの慰めは、時折怖いくらいにこちらを傷つける。みじめで恥ずかしくて、いたたまれなくて、相手に申し訳ないとさえ思ってしまう。
腰が小刻みに跳ねる。腹の底から、這いあがってくるものを感じた。後ろへのピストンと、前への愛撫で、二種類の快感に挟まれ気が狂いそうになる。先走りが幹を伝っていく感覚さえ気持ちいい。
「ァ、あ、あ、出る、もう、」
アルハイゼンが、確かめるようにこちらの顔を覗き込んでくる。細部まで見抜こうとするような目をして。電流が身を貫く。びゅる、と先端から白濁したものが放たれた。
射精の時間は短かった。けれど、それに続く余韻はずっと長く感じられた。声さえ出ないほど気持ち良かった。涙の膜が目を覆って、視界に映っていたアルハイゼンの顔が、水に溶かした絵具みたいにぶわりと輪郭を歪ませる。真っ白になった頭の中に、不意に「カーヴェ」と呼ぶ声が聞こえた。
「俺の目を見ろ」
そう言われても、まだ涙で濡れている目は色のかたまりみたいにしか目の前の景色を捉えられない。アルハイゼンがいるであろう方向をぼんやりと見つめた。胸を手でまさぐられる。愛撫もしてないのに胸の先端が固く尖っていて、そこを指先で転がされた。きもちいい、と思っていると、突然二本の指で痛いほどにつままれる。きゅう、と下腹が疼いた。
「カーヴェ」
たしなめるようにまた呼ばれた。躾のつもりだったのか。そう気づいた瞬間に体が熱くなった。濡れた視界の中で、どうにか彼の目の色を探すと、ようやく胸への愛撫がなくなった。体中が熱い。全身が汗で濡れている。ぐったりと横たわったままでいると、陰茎を抜かれて、ぬいぐるみを抱き上げるように体を起こされた。
「なに」
「俺がまだ出してない」
アルハイゼンの上に、自分が座る形にされた。対面座位の格好だ。また切っ先が後ろに押し当てられる。「ひ」という声が自然と出た。自重で、深く咥えこむような形になる。そこから律動が始まった。
「ぁ、ぁ、ぁ、」
彼の手で体を支えられて、まるで人形か玩具のように上下に揺さぶられる。彼のモノは杭みたいに太く、奥底までまさぐろうとする。この体で、快感を得ようとしている。こんな薄い男の体で。彼の動きでそれが分かった。狭い筒に肉棒をねじ込むみたいにして、入ってきている。きもちいいきもちいいきもちいい。馬鹿みたいにそれしか考えられない。
「あぅ、はいぜん、あ、ふぁ、くる、すごい、あぁ、」
「うん」
ちゅる、という音がして、見ると、胸の先端を彼が口に含んでいた。ピンク色の舌先が、唇の隙間から見える。それだけで、無いはずの子宮が溶けだすような心地がした。硬く尖った先端が、やわい舌先にねぶられている。快楽の芯が、よりいっそう鋭さを増していく。
今ここで、彼を受け入れることは、取り返しのつかない何かを認めてしまうのと同じように思えた。だから彼を拒絶するべきなのに、後ろの穴は彼のモノにむしゃぶりついて離れようとしない。一番太いカリ首の部分で、浅いところから最奥までを広げられると、それだけで何も考えられなくなる。
アルハイゼンは、明らかにこちらの様子を観察しながら腰使いを変えていた。足先をピンと伸ばし、快感に耐えようと体を強張らせると、一番いいところに先端を擦りつけて、そこばかり刺激しようとする。二度目の絶頂が近いことを知ると、抽送の間隔が短くなった。入口から奥まで、全部を満たし切るように、それでいて明らかに速いペースで、穴を犯していく。無理やり絶頂に押し上げられていく感覚に、本能的な恐怖が身を襲った。それでも、抗うことはできない。押さえつけるアルハイゼンの手が、逃げることさえ叶わなくさせる。
がくりと背中が仰け反った。イく、と堕ちていく意識ではっきりと思う。絶頂が、もうそこまで来ていた。指先で触れられるほど近くに。開かれていく体をどうすることもできず、ただ受け止めようとしていたところへ、彼がこう尋ねるのが聞こえた。
「いま君を抱いているのは、なんて名前の男だ?」
ぞわ、と全身に寒気が走る。言葉に表せない、執着に似たなにかが、その声に含まれているような気がした。頭が白く焼かれていく。ほとんど反射的に、彼の問いに答えていた。
「っぁ、あるはいぜ、んっ、ひ、ァ、ァ、あ、る、ハイゼンっ、だろ、」
「ああ」
気がふれたみたいに、彼の名前を繰り返していたその最中、ぐぽ、と怒張が引き抜かれた。さんざん拡張された穴が、ぽっかりと開いて空気を飲む。物足りない。そう思った瞬間に、一番奥の奥にまで、ごちゅ、とそれがねじ込まれた。これ以上ないほどに、膨らみ切って精子の登り切った、凶悪な雄の証が。
「ぁ………………、」
声さえ出なかった。ゆっくりと、腹の中に注がれていく。口に含んだわけでもないのに、なぜか濃いと分かる液体が。どくどくと中で脈打っている彼のソレが、子供を作るための材料を僕の中に流し込んでいる。そのおかしさに、体中がゾクゾクした。
ぐるりと自分の目が上を向いているのが分かったが、それを気にする余裕もない。なんだか怖いくらいきもちいい、と思っていたら、自分の陰茎がいつのまにか潮を吹いていた。
長い射精の間に、アルハイゼンはより穴の中に怒張を密着させた。そのままゆるやかに何度か腰を前後させる。一滴残らず、中に注ぎ込もうとする動きだと、同じ男だからこそ分かってしまった。
ようやくモノを引き抜かれて、ぺたりとシーツの上に座り込んだ。崩れ落ちる、という方が正しいかもしれない。慣らしすぎて、すぐには閉じきれない穴の隙間から、漏れ出ていくものを感じる。口からシーツへ垂れていく自分の唾液を他人事みたいに眺めていたら、頭上からこちらを呼ぶ声が聞こえた。
「カーヴェ」
顔を上げる。アルハイゼンが、こちらを見下ろしていた。その整った顔立ちの、鼻先と口元に透明な液体が飛び散っていた。ぞくりとする。さっき自分が放った潮に違いなかった。彼を汚した、という意識が奇妙に胸を昂らせた。
「口を開けろ」
感情の読み取れない声で、彼がそう言った。何も分からないまま言うとおりにする。彼を見上げて口を半開きにした。視線が絡み合う。見つめ合っていると、彼の薄い唇から舌先が覗き出て、口周りを汚す色のない液体を舐め取った。
「ほら」
そう言って、アルハイゼンはこちらを見下ろして、舌先をわずかに突き出した。すぐにその意味が分かった。唾液が、舌先へと伝っている。その雫が、こちらにまで垂れてくるのにそう時間はかからなかった。
蜘蛛の糸のように垂れてきたそれを、舌を伸ばして受け取る。口に含んだ。奇妙なほどに甘く感じられた。彼の唾液と、自分の潮とがまじりあっているはずなのに。
彼が目を細めた。ひどく愉快そうだった。瞳の中の赤い部分が、溶けだすように面積を大きくする。なぜだか分からないけど、体の内側から、彼に汚されているような気がした。