「これ、何の音?」
タルタリヤがそう言った。テーブルの対面に座る鍾離がそれに答える。
「弦楽団の演奏だろう。今日あたり、璃月港に寄ると聞いていた」
「へええ、もしかして、そこの広場で?」
「おそらく」
タルタリヤが窓の方を顎をしゃくって示す。ここはとある料亭の個室で、広場の近くに立つ店だった。そこで奏でる曲が、風に乗ってこの店にまで届いているのだろう。
「豪華なことだね。璃月の商人は、こういうイベントも商いのネタにするのかな」
二人の前にあるテーブルには、まだ何の料理も見当たらない。清潔そうな白い卓布が被せられているだけだ。二人がこの店に来て、注文をしたばかりだったからだ。
「知らない曲ばかりだ」
「公子殿にはそうかもしれないな。これは璃月に古くから伝わる曲だ。式典や催事の時によく演奏される」
鍾離には馴染みのある曲だった。彼が岩王帝君として璃月港に姿を見せる時、歓待の証としてよくこの曲が奏でられていた。
「あ、これは知ってるかも」
別の曲にさしかかった時、タルタリヤが楽しげにそう言った。この曲も、催事の時に奏でられるものであったが、さっきの曲よりはもっと華やかな場に適しているものだ。美しく、それでいて露出を控えた厳かな衣装を身につけた女性たちが、曲に合わせて舞をする。翻った服の裾が、花びらのように広がるのだ。
「知ってるよ。確か、こういう風に踊るやつだ」
タルタリヤはそう言うと、不意に立ち上がって、鍾離の前で踊り始めた。ごくゆるやかに、腕を伸ばして。踊るというより、頭上の枝から花を手折るような動きで。
舞の順序はあまり合っていなかった。けれど、ターンをする場面だけは正確だった。タルタリヤは目を閉じながら踊っていて、しかし部屋の壁や卓に手足をぶつける事などなかった。楽しそうな微笑を浮かべたまま。
それを静かに眺めながら、鍾離はタルタリヤのことを考える。今日、鍾離は大通りでタルタリヤを見つけ、この店での食事に誘った。タルタリヤは快くそれを受け入れて、そうして今ここにいるのだが、もしかしたらこの後予定でもあるのではないか。知らない曲ばかりだ、とタルタリヤが言った通り、彼はここに住む者ではない。来るとしたら、もっぱら「仕事」のためである。断られていないのだから、こちらから変に遠慮する必要はない。以前までの鍾離ならそう考えていたが、どうやら凡人というものは、必要以上に気を回すのが普通らしかった。
「公子殿は、この後なにか予定はあるのか」
「無いよ。なんで?」
「ファデュイの任務があるのかと思ってな」
タルタリヤはゆるやかな舞を止めないまま鍾離を見た。光の薄い目を開けて。
「俺がここに来たのは、鍾離先生に会いにいくためだよ」
その言葉に、鍾離はなんの返事もできなかった。何故なら返事をするより先に「気分出てきた。先生も踊ろう」とタルタリヤが手を取ったからだ。二人がゆるやかに踊り始める。ここは個室だ。誰にも咎められない。鍾離だけは少しの困惑を抱きながら。
小窓の外に、枝の先の若葉が見える。それだけが、二人のじゃれあいを眺めていた。