「元気出して、お兄さん」
そんな言葉と共に、花を一輪差し出された。名前も知らない、橙色をした百合のような花だった。
花を差し出す女を、蛇骨は無言で睨みつけた。蛇骨は全身がカッと熱くなっていくのを感じた。蛇骨が咄嗟に女を罵倒しなかったのは、優しさからではない。あまりの屈辱に胸がいっぱいになって、声を上げる余裕もなかったのだ。
蛇骨は女に花を差し出される直前、行きずりの男に声をかけていた。良く引き締まった体と、整った顔をした男だった。見た目が好みだったことと、自身に向けられる視線から、おそらく同類だろうと蛇骨は推測した。しかし実際に誘ってみたら、男は口汚く蛇骨を罵り、体を押しのけてさっさと行ってしまった。蛇骨の読みが外れたのか、それとも直前で男が怖気ついたのかは分からない。そして取り残された蛇骨が、女から声をかけられて今に至る。
女に慰められた。可哀想な奴だと思われた。声をかけてやろうと憐れみを抱かれた。こんな奴に、侮られたのだ。
蛇骨の頭の中が、屈辱でいっぱいになる。湧き上がる感情にようやく体が追いついた頃、蛇骨はその細い喉が裂けるような
「うるっせえクソ売女!!とっととどっかに行っちまえ!!」
それを聞いて、おそらく女は逃げ出すだろうと蛇骨は想像した。怯えて、自分のしでかしたことを後悔して、みっともなく逃げ出すのだろう、と。けれど、現実はそうでなかった。
「あら、怖い怖い」
まるで子供をあやすように、女はちょっと笑ってそう言うと、持っていた花を蛇骨の足元に投げ捨てた。そして、少しも怯えた様子を見せずにくるりと背を向けて、その場から去っていく。後には、蛇骨と、一輪の花が残されただけだった。
「…………」
怒りのぶつけ先を失った蛇骨は、所在なく女の後ろ姿を睨みつけるしかできなかった。
女が身につけている着物は、遠目からでも質が良いと分かるものだった。よく見ると、着物だけでなく、身につけているもの全てがそうだ。花売りの稼ぎのみで手に入れられる代物ではない。もしかしたら、やくざ者の子飼いの娼婦だったのかもしれない。蛇骨のような、見た目からして堅気ではないと分かる男に声をかけて、怯えてもいないことを踏まえると、正解な気がする。
蛇骨は足元の花を見下ろすと、一瞬迷った後にそれを拾い上げて、仮の棲家へと帰ることにした。
「なんだ、珍しいもん持ってるな」
蛇骨を最初に出迎えたのは、土間で蛮竜を磨いていた蛮骨だった。蛇骨が手にしている花を見て、面白そうな顔をする。蛇骨は「うん」と口の中で呟くように言った後、その花を蛮骨へ押し付けるように渡した。
「兄貴にあげる」
「俺に?」
蛮骨はきょとんと目を丸くした。茎の部分をつまんで、くるりと回してみせる。その子供っぽい仕草が、百合のように大ぶりな花と良く似合っていた。
「それ、女から貰ったんだ」
「へえ、お前が女に」
金貰っても女から恵んでもらうのを嫌がるお前がなあ、と蛮骨は興味深そうに言う。
「知らない女が、元気出せって言ってそれくれたんだ」
「あっはは、お前が女に慰められたってのか」
楽しげな蛮骨に対し、蛇骨はどこか暗い表情をしている。塞ぎ込んでいるような姿に、蛮骨は何を思ったか、花を蛇骨の髪に挿してやった。橙色の花が、かんざしのように蛇骨の髪を彩る。
「えっ」
「お前がもらったんだろ。それじゃあ俺は受け取れねえよ」
蛇骨は困惑のまま、髪に挿された花に触れてみる。冷たい花びらの感触が、指に伝わってきた。
蛇骨は先ほどの、女とのやり取りを思い出した。鮮やかな橙色の花と、女の声。今でも耳元で囁かれたように、かけられた言葉を生々しく思い返せる。蛇骨は、口の中に苦いものが広がっていくような気がした。別に女にひどい真似をするのは、これが初めてではない。女を罵るのも殺すのも、飽きるほどやってきたはずだ。それがどうして、こんなにも頭に残っているのだろう。未だに塞ぎ込んでいる蛇骨に、蛮骨はまた声をかけた。
「……やっぱダメだ、俺がもらう」
「わっ」
蛇骨の髪から、素早く花が抜き取られる。蛇骨は髪が崩れてないか触って確認しながら、戸惑った顔で聞く。
「なんだよ兄貴、そんなにその花が良いのか」
「そうでもねえけど……。というか、この花が気に入ってるのはお前の方だろ」
「俺は別に……」
蛮骨の視線から逃げるように、蛇骨は花へ目を向ける。目の醒めるような橙色の花弁は、剃刀のような鋭さを持って、蛇骨の頭に刻みつけられた。