煉蛇(犬夜叉)

「では、後日また来ます」
そう言って、煉骨が豪奢な作りの家から出てくる。商談かなにかしていたのだろう。顔の模様は隠して、服も墨染めの法衣を着ているため、そこらにいるようなただの坊主にしか見えない。煉骨が空を仰ぐと、すっかり夕日が沈みかけていた。早く蛮骨達のもとに戻ろう、と歩き始めた瞬間、門の陰から何かがぱっと飛び出した。
煉骨は反射的に身構えるも、目の前に立ち塞がったそれの正体を見て、目を瞬かせる。現れたのは、10にも満たないような女児だった。肩のあたりで切りそろえたおかっぱ頭をしている。
子供は煉骨を見上げると、両手を後ろにやって何やらもじもじしている。夕日によって、子供の黒々とした影が煉骨に向かって伸びている。けれどその影は、煉骨の足元をわずかに覆うだけだった。普段の煉骨であれば、同じ状況になったとしても子供など無視してさっさと通り過ぎるのだが、生憎今日は坊主のふりをしている。人並みに優しくしてやらないと、悪い噂を立てられれば困る。
「……何か用か」
そう問いかけてみても、子供は俯いたままだ。仕方なく、煉骨は自分から歩み寄った。子供はビクリと大きく体を揺らしたが、それでも逃げ出すことはなかった。手を伸ばせば触れられる位置にまで来た時、子供は恐る恐ると言う風に顔を上げると、片手を煉骨の方へ差し出した。訳もわからないまま煉骨が手を伸ばすと、押し付けるように何かが握らされた。見ると、手のひらの上に、木苺のような赤い実が載せられている。赤く小さな丸い実が、いくつも連なっているような見た目をしていた。
それを見た煉骨は、一瞬だけ目を見開いた後、子供の顔を見返した。夕日で気づけなかったが、良く見ると顔を真っ赤にして煉骨を見つめている。煉骨はため息をつきたい気持ちになって、けれども寸前でそれを押さえつける。子供に合わせてかがみ込んでいたのを立ち上がった。
「もらうぞ」
意識的にぶっきらぼうな声を出して、煉骨は赤い実を懐に入れた。子供が何か言い出す前に、さっさと背を向けて歩き出す。煉骨は一度も振り返らなかったが、随分長いこと子供がそこに立ち尽くしていたのが気配で分かった。
ねぐらへ戻り、ふとした拍子に懐から赤い実が出てきた時、煉骨はそれの存在を完全に忘れていた。赤い実だけでなく、渡してきた子供の顔さえもう思い出せないほどに、煉骨の中では忘れてもいい出来事として処理されていた。
煉骨の手の中にある実を覗き込んだ蛇骨が言う。
「何だよそれ。食えるのか?」
煉骨は苦虫を噛み潰したような顔をする。一番面倒くさい相手に見つかった、と思ったのだ。適当に誤魔化そうとした瞬間に、いつのまにか隣にいた霧骨が先に答えた。
「美男葛の実だな」
「びなん……?」
「兄貴、さてはどこぞの女にもらったな」
霧骨が覆面の下でにまにまと笑う。蛇骨は一瞬呆けた顔をしてみせた後、隣室まで響くような声を上げた。
「はあああああ!?どこの女からだよそれ!」
「うるせえ叫ぶな!」
そう一喝した後、煉骨は息を整えて付け加える。
「別に面白い話じゃねえ。ただの餓鬼にもらったんだ」
「でも、餓鬼とはいえ女だったんだろ」
愉快そうな声で尋ねる霧骨に、煉骨は忌々しそうに睨みつける。対して蛇骨は、髪を振り乱し、まさに鬼女のような顔で詰め寄る。
「どこのどいつだよその餓鬼は!女の分際で兄貴に手ぇ出して!」
「落ち着け蛇骨」
「これが落ち着いてられるかっての!クッソ胸糞悪い!兄貴に色目使いやがって!」
「お前は兄貴の何なんだよ……」
霧骨が呆れたような目をして言う。蛇骨はそれを聞いてキッと目を吊り上げて霧骨を睨んだが、不意に目にもとまらぬ速さで煉骨から美男葛の実を奪い取った。そして二人が声を上げる間もなく、自分の口に放り込む。
「あっ」
蛇骨の喉仏が上下する。ミミズを踊り食いするような顔をしていた蛇骨だったが、ぎゅっと眉を寄せて口を覆った。
「まずい……」
「そりゃそうだろ」
「梅干しの残り汁を水で薄めたみてぇな味がする……」
二人は呆れて物も言えなかった。蛇骨だけが「これで兄貴に悪い虫は付かなくなる」と何故か得意げである。煉骨は「霧骨、今度こいつが俺に付いてこないよう見張っててくれ」と言った。
もしあの子供と顔を合わせて、蛇骨が平手打ちなんかしたら商談どころでなくなる。煉骨はため息をついてみせたものの、あの子供に対する申し訳なさなどは一切感じていないのであった。