銀博♂(アークナイツ)

 私に煙草を勧めたのはテキサスだった。
 彼女が人気のない甲板の隅で、ぼんやりと紫煙をくゆらせる姿を以前から時折見かけていた。
「そんなに美味しいものなのかい」
 私がそう尋ねると、彼女は「どうだろうな」と目を伏せた。
「美味いかどうかというより、理由付けのために吸っているようなものだ」
「理由付け?」
「私みたいなのが一人で退屈そうにしていると、あれこれ気を回してくる奴が大勢いるんだ」
 凪いだ風を思わせる声で、彼女が語る。
「そういう時、『これ』を吸っていると、みんな納得したように話しかけてこなくなる。一人きりでいるだけでも理由を必要とする人間がいるんだな」
 「これ」と言うのに合わせて、煙草を指に挟んでいる方の手をひょいと持ち上げる。その慣れた仕草に、ソラが彼女に夢中になるのも仕方ないなという気持ちになった。
「……ああ、悪い。ドクターに話しかけられたのを嫌がっているわけではないんだ」
「いや、分かってるよ」
 そう答えたきり、沈黙がその場に落ちた。ただ、その静寂を気まずいと思うことはなかった。しばらくした後に、テキサスが煙草の箱を差し出した。
「お前も吸ってみるか? ドクター」
「私が?」
「お前も周囲が煩わしくなって、一人きりになりたいと思ったらこれを吸ってみるといい。それとも、お前の体にこれは猛毒すぎるだろうか」
「深夜のカップラーメンが許されるなら、これだって少しは嗜んでいいはずだよ」
 それもそうだな、と彼女は小さく笑った。見よう見まねで、煙草を口に咥えて火をつける。
「そうしていると、ようやく年相応になったように見えるな」
「だろうね」
 私は何故だか歳を下に見られやすい。若々しいというより、幼い見た目なのだろう。老けてはいるはずなのに、妙に子供っぽい顔立ちなのだ。苦労を知らない顔、と揶揄する人もいる。
 それに対して、テキサスは私と正反対だった。顔立ちは少女じみているものの、彼女の凪いだ目は老練されたものを感じる。酒場に入ったって、年齢確認などされないのだろう。私はそんな彼女が羨ましかった。
 これは、私が石棺から目覚めたばかりの頃のことだった。チェルノボーグ事変。現れては亡くなっていく周囲の人たち。アーミヤに手を引かれ、足をもつれさせながら駆け抜けていくような日々だった。周囲からの期待に、自身の能力を認められているのだと分かっていても、その期待を振り払いたい時もあった。そんな私を、当時のテキサスなりに気遣ったのだろう。今思い返してみてそう思う。

「お前のような男も、そういった嗜好品に手を出すのか」
「そうだよ。悪い?」
 白く濁った煙が、視界に広がる。それが自身の唇から吐きだされたものという事実が、ひどく奇妙に思えた。
「マルボロか」
「うん」
 部屋は薄暗く、空気がこもっていた。ここは執務室から繋がっている私室だ。ほとんどのオペレーター達は気を遣って私室まで入ってこないのだが、例外はいくらでもいる。例えば、いま目の前にいるこの男とか。
 椅子の上で膝を抱えて座り、煙草を吸い続ける。シルバーアッシュは電気も付けずに、入り口近くに立って黙って私を眺めている。何が楽しいのだろう。そう思っていると、彼が自身の懐にスッと片手を入れた。銃でも取り出しそうな仕草だな。ついさっきまでマフィアものの映画を見ていたせいでそう思った。懐から引き抜かれた手には、煙草の箱が握られていた。
「こっちを吸うか?」
「なんで」
「美味そうな顔には見えない」
 私は少しだけ笑った。その拍子に不可思議な形に煙が歪んで吐き出される。美味そうな顔には見えない。その通りだろう。美味しいから吸っているわけではない。そこだけはあのテキサスと同じだ。違うのは、彼女が一人きりになるために吸っていたのに対して、私はただの習慣として煙草を吸い続けている。何も考えず、煙を吸って吐き出す。その繰り返しが妙に癖になってしまった。脳みその間が、煙で隙間なく埋められていくような感覚が、心地よくてたまらない。
「君も吸うんだ」
「商談相手が喫煙者ならな」
「へえ、一緒に喫煙所についていって、お喋りでもするの?」
「まあな」
「勉強になるよ」
「だが、お前はしない方がいいだろう」
「なんで。様にならないから?」
 シルバーアッシュは答えなかったが、多分当たりだろう。彼がまだ手に煙草の箱を持っているのを見て「吸わないから、しまいなよ」と言った。彼は大人しくコートの内側に戻しながら、こちらに尋ねる。
「拘る理由でもあるのか? それに」
「無いけど」
 無いけど、多分、理由があるとするなら。
「愛着かなあ」
 あの時、テキサスに勧められたのがこの銘柄だった。あの日から今に至るまで、擦り切れて細くなった糸が、千切れないうちはそれでも糸であり続けるように、連綿と自分が続いているような気がした。それがただの錯覚であり、煙草の銘柄一つに抱くべき哀愁ではないと分かってはいるけれど。
 先端の灰が長くなりつつあったので、手元の灰皿に落とす。ふと、シルバーアッシュの口元が笑みを描いているのに気づいた。
「何がおかしいんだい」
「その愛着とやらは、私がお前から一番得たいと思っているものだろうな」
 見ると、彼の目には自嘲じみたものが浮かんでいた。釣り上がった口元の歪みも、皮肉げなものに見えてくる。
「なんで君がそんなものを欲しがる必要があるのさ」
 胸がざわめくのを感じた。この男に、そんな表情をさせているのが自分だという事実。それに対する、高揚なのか不安なのかも分からない昂りが胸を迫り上がる。
「こんな紙束一本なんかに、君が」
「なら、私にそう思わせるくらいの扱いをしたらどうだ」
 突然攻守一転したようにシルバーアッシュが言う。自嘲じみた笑みは作り物だったのか、あの上から見下ろすような意地悪げな微笑があるだけだった。
 また付け入る隙を見せてしまった。そう思い、頬が熱くなるのを感じたが、あの弱々しい吐露が全くの嘘でもないのかもしれないと思うと、そこまで苛立ちはしなかった。