いま思い返すと、想いを告げるには絶好のシチュエーションだったのかもしれない。自分も目が冴えてしまって、と言う彼を連れて、中庭へ出たのが全てのはじまりだった。
「夜って、植物の匂いが昼よりずっと濃くなるのが不思議ですよね」
そう言ってヒースを振り返ると、夜だというのにどこか眩しそうな目をして「ええ、本当に」と頷いた。この時、寝間着から無防備に覗く首筋や鎖骨を、どんな気持ちで眺めていたのだろう。みんなが寝静まった深夜、衣服越しにまとわりつく夜気。湿った木々の甘い匂い。
「星って、あんな近くにありましたっけ」
空を見上げて、そんな風に馬鹿みたいなことを言っていると「あの」と声をかけられる。振り返ると、張りつめた白い顔が、こちらを見つめていた。
「驚かないで聞いてくれますか」
あまりの真剣さに、一体なにを言われるのか、と不安になりながら頷く。ヒースはその青い瞳を、溶けているような燃えているような、不可思議な色に染めながら意を決したように口を開いた。
「俺、あなたのことが好きです」
数秒間、何も言えなかった。口を閉じたり開いたりして、ようやく声を出せたかと思ったら「あの、好きって、その」という歯切れの悪い返答だった。
「友人としてではなく、あなたの恋人になりたい、という意味の好きです」
「ああ、そっちの、そう……」
うろたえて、どうにか落ち着こうとするのに、ヒースの視線を意識して、一層思考が絡まっていく。寝間着の合わせ目をせわしなく掴んだり離したりしていると、その手をヒースの両手で包み込まれる。それが返事の催促のように思えて、より舌がもつれた。
「あの、嬉しいです。すごく。俺もヒースのことが好きです」
「じゃあ、」
「でも、すみません」
頭を下げる。
「俺、自分がヒースの恋人にふさわしいのか、自信が持てなくて……少し考えたいんです。だから、保留にしてくれませんか」
「保留……」
「はい、いつか必ず返事をするので、待ってもらえませんか」
きっと今の俺はすごく不誠実なことをしている。勇気を振り絞って告白してくれた人に対して、この場で結論を出せないなんて。
「付き合うのが嫌なら、すぐに拒絶してください」
「いえ、そういうわけじゃないんです。ただ、ヒースの将来を思うと、後悔するようなことにはなって欲しくなくて……」
「…………」
ヒースの沈黙が怖い。告白なんてしなければ良かった。そんな風に思われてるんじゃないだろうか。そう怯えていると、ヒースが口を開いた。
「分かりました。でも、俺のことが本当に好きなら、一つだけお願いしてもいいですか」
「えっと、なんでしょう」
「保留にするのではなく、お試しでお付き合いをする期間にしていただけませんか」
「え?」
「だってこのままだと、あなたは断る前提で考えてしまいそうなので」
心を読まれたのかと思いドキリとする。保留を言い出した罪悪感もあって、「それは……その……じゃあ、そうします……」とつい受け入れてしまった。
「嬉しいです。一時的でも、恋人にしてもらえて」
それでも、嘘偽りなく嬉しそうに頬を緩めるその姿に、後悔は吹っ飛んでいった。自分は本当に、ヒースの顔に弱い。しかし、たとえお試しでもお付き合いをするのであれば、と思い浮かんだ不安要素が一つある。
「じゃあ、俺からも一つお願いしていいですか?」
「はい」
「お付き合いしてることを、あまり皆に言わないでくれますか……?」
「もう俺と別れる前提で話してません?」
「ち、違います! だって、みんなに教えた後に別れたらヒースだって気まずいでしょう……?」
上目遣いにおそるおそる様子を窺うも、ヒースは黙って首を左右に振った。
「すみません、そのお願いは受け入れられないです。何人かには俺から話すと思います」
「うう……」
あまりにきっぱりと断られて落胆する。でも、話すといったって、シノやカインのような友人にだけだろう。彼らの性格を思うと、別れたってそう気まずくはならないはずだ。心配しすぎるのは杞憂かもしれない。そう考えていると、ヒースの手が俺の首筋に触れた。びくりと体をこわばらせると「体が冷えてしまいましたね」と言った。
「戻りましょうか」
ヒースが身に着けていたストールを俺に羽織らせる。花のように清涼な香りがふわりと鼻を掠めた。
「明日、取りに行きますから、使ってください。俺はまだ少し中庭に残ります」
気まずくて一緒に戻りたくないのだろうか、そんな被害妄想が伝わったのか、ヒースは少しだけ笑って
「落ち込んでるわけじゃありませんよ。まだ少し、ドキドキしていて体が熱いので、夜風に当たっておきたいんです」
と言った。
「おやすみなさい。賢者さま」
「……おやすみなさい」
本当に彼を置いていっていいんだろうか。そんな考えも頭に浮かんだけど、彼の言う通りにするべきかもしれないと思い、ヒースを残して魔法舎の中に戻る。歩くたびにストールが羽のようにやわらかく揺れた。二階に着いてから、気になって中庭を見下ろすと、紫陽花の前で立ち尽くしているヒースの後ろ姿があった。何かを考えこんでいるように見える。自室に戻り、ストールを椅子の背にかけてベッドにもぐりこんだ。彼の匂いをまとったものとベッドを共にするのは、少し気が引けたから。
翌朝、重い瞼をどうにか持ち上げる。全部夢の中の出来事だったのでは、と思ったけれど、ストールがあれは現実だと突き付けてくる。何も食べていないのに重くなった胃を抱え、ベッドの中で身を起こした。
やっぱり、ヒースの告白は断るべきだろう。昨晩、ベッドに戻ってからずっと考えていたことを改めて決意する。家柄とか、寿命差とか、そういうものをすべて取り払ってみても、優しくてきれいなヒースに、自分が釣り合うとは思えない。あの時、すぐにでも告白を受け入れなかったのが全てではないだろうか。
今日一日のスケジュールを頭の中に思い浮かべながら身支度を始める。午前中は東の魔法使いたちの訓練に参加する予定だ。そこでヒースの様子を窺って、できれば東の魔法使いの誰かに相談したい。どうすれば相手を傷つけずに告白を断れるのか、相手がヒースだということは伏せて聞いてみたかった。同じ気質の者同士なら、きっと具体的な案が聞けるはずだろう。
待ち合わせ場所に着くと、既に東の魔法使いが全員そろっていた。四人全員の視線が一斉に俺に集まる。なにかいつもと違うものを感じ狼狽えていると、ネロが最初に声を上げた。
「あーなんだ……おめでとう?」
「……? なにがですか?」
「いや、ほら……ヒースと……」
「ヒースと恋人になったんだろ?」
「へ!?」
口ごもるネロの言葉をシノが引き取った。思わず声を上げる。何故知っているのだ。いや、確かに何人かには話すと言っていたけれど。三人の顔を順々に見ていって、最後にヒースに行き着く。ヒースは悪びれた風もなく「すみません、東の魔法使いには、話しておいた方がいいかなと思って」と微笑をたたえたまま答えた。
「後になって教えた方が、みんな気まずくなりそうですし」
「それは……分かりますが……」
分かるのだが、もしお付き合いが無しになった場合、かなり気まずくならないだろうか。腫れ物に触るように接してくる彼らの姿が目に浮かぶ。しかしこの場でその疑問を口に出すのはさすがに憚られた。
「しかしまあ、魔法舎で一番先に恋人持ちになるのがヒースと賢者さんか、意外だったなあ。あ、婿さんは除いてな?」
「いいじゃないか。今時こんな微笑ましいカップルいないよ」
ファウストは終始微笑ましそうな顔で俺たちをながめている。告白を断ろうと内心決めているだけに気まずい。
「ヒースも賢者も、お互いをちゃんと大切にしてやりなさい」
「はい」
「あ、あの、気が早いですよファウスト……」
もしかしなくても、これがお試し期間だということは話していないのだろう。すっかりこちらを祝福する顔で言うファウストにそう告げると、初々しいカップルを見るような目で俺を見つめてくる。違う、そうじゃない。
「おい、ヒースにあまり迷惑をかけるなよ」
「シノ!」
「言いすぎじゃない。ヒースは背負ってるものが多いんだから、今のうちに賢者もそれを自覚しておくべきだ」
シノの言うとおりだ。ブランシェット家という東の中でも特に名の知れた貴族で、それにふさわしい教養と知性を身に着けた少年。俺には想像もつかないほどの苦労を重ねてきたのだろう。そんな彼に、俺が釣り合うのだろうか。誰に聞いたってその答えは一つしかない気がした。
「まあ、でも、苦労するのはどっちかというとヒースの方じゃねえの?」
「なんでだ?」
「賢者さんはここの魔法使いたち全員に可愛がられてるからさ、ヒースが嫉妬するだろ」
視界の端で、ヒースの整った眉がわずかに動いた気がした。
「ネロ、付き合いたての頃からそんなことを言うんじゃない」
「あー、悪い悪い」
「ほら、そろそろ訓練を始めるぞ。各自定位置につけ」
ファウストの言葉で、ようやくいつもの空気に戻る。訓練中、ちらちらとヒースの様子をつい窺ったが、不意に目が合いそうになって、それからは怖くてそっちを見ることもできなくなった。
午後、談話室の前を通りかかった時、横からぬっと伸びてきた腕に部屋の中へ引きずり込まれた。
「よお、賢者」
首に腕を回される。見上げると、ブラッドリーがこちらを見下ろしていた。
「聞いたぜ、あの坊ちゃんをたぶらかしたんだろ? 玉の輿じゃねえか」
「なんでブラッドリーが知ってるんですか!?」
玉の輿だのたぶらかしただの、言いたいことは山ほどあった。が、なにより一番に気になったのが、何故ブラッドリーが知ってるのだ、ということだった。
「結婚式の引き出物は豪華なやつにしろよ。ありがたく受け取ってやる」
「ブラッドリーちゃんったら面白いのう」
可愛らしい声がして、見ると、談話室の奥の方でスノウとホワイトがソファーに座っている。
「あ? なんだよ」
「だってブラッドリーちゃん、式に呼んでもらえると無邪気に思い込んでるんじゃから」
「公的には王家の財宝を盗もうとした大罪人だっていうのに~」
「……」
ブラッドリーが一気にきまり悪そうな顔になる。
「あ、あの、ブラッドリーにはいつも助けてもらってますから、もちろん呼びますよ」
「だとよ。聞いたかじじいども?」
「あらあら賢者ちゃんったらやっさし~!」
ほほほ、といつもの笑い声が響いた後で「ところでの、賢者」とスノウが改まる。
「知らんようじゃから教えておくか。ついさっき、ヒースが部屋にやって来て、賢者とお付き合いを始めたことの報告を我らにしに来てのう、『正式なご挨拶は賢者さまと二人そろって後日うかがいますが、先んじての報告に来ました』と言っておった。普段我らが魔法舎の運営に気を配ってくれていたからこそ、こうして結ばれることができたと感謝しておった」
「ほほほ。今時あんなに礼儀正しい子そうそう居ない」
冷や汗が全身から噴き出し始める。ヒース、あちこちに吹聴しまくっていないか。双子とそれ経由でブラッドリーにまで伝わったことを思うと、この勢いで魔法舎中に広まっていきそうである。
「ああ、いま賢者ちゃんに会えたから伝えるけど、正式な挨拶は不要じゃ。こうして賢者ちゃんの意思も確認できたからのう。それだけで我ら十分じゃよ」
俺の意思ってなんだろう。今ここで双子に打ち明ければいいんだろうか。これは正式なお付き合いでなくて、俺は今後断る気でいるんですって。
「なんだよ」
そうして返事に困っているうちに、ブラッドリーが怪訝そうに聞いてきた。
「なんか不満でもあるのか?」
「ええ、まあ」
「マリッジブルーってやつか」
「まだ結婚するって決まってませんけど……」
俺の言葉は無視して、ブラッドリーは得意げに唇の端を吊り上げて言った。
「へえ、もしどっかでどうしようもない不満が出てきたら、俺に言えよ。式中にてめえを奪いに行ってめちゃくちゃにする間男の役でもやってやる。全部俺が勝手にやったことにしてな。てめえが何に不満を持ってんのか知らねえが、向こうの家やらヒースやらが何か押し切ろうとしたとき、そこまでデカいトラブルが起これば、お前の扱いを改めるだろ。今さら悪事の一つや二つ増えたって、刑期はそう変わんねえしな」
「ブラッドリー……」
あまりに頼もしすぎて、思わずボスと呼びたくなった。こういうことを、損得無しにさらっと言ってくれるのが彼の良いところだ。後ろでスノウが「刑期は流石に延びるぞ」とぼやいてはいるが。
「俺、ブラッドリーと結婚したいです……」
「ちょっとちょっと賢者ちゃん! お付き合いしたてほやほやなのにそんなこと言ってどうするの!」
「彼氏に怒られても我ら庇ってあげないんだからね!」
「ずいぶん楽しそうですね」
涼やかな──というより、冷ややかな声がして、談話室の出入り口を振り返ると、ヒースがそこに立っていた。花のような彼のたたずまいとは対照的に、俺の身体から変な汗が出始める。まさか聞いていたのか? 感情の読み取れない顔で、「俺も混ぜてください」とヒースが近寄ってくる。
「おーおー、彼氏が迎えに来たぜ」
ブラッドリーが俺を拳で軽く小突きながら冗談めかして言う。
「ちょうどいい。ヒース、そなたの話をちょうどしていたのじゃ」
「俺のですか?」
「ヒース、賢者にも言ったが、我らを気遣っての正式なご挨拶は不要じゃ。その分、そなたらが仲睦まじくしている様子を見せてくれたら十分じゃからのう」
「お気遣いありがとうございます」
品の良い笑顔でにこやかに対応するヒースの姿に、俺と相対してる時とは違う、次期当主としての姿を見せられたようでドギマギする。そこに「おい」と横からブラッドリーが声をかけた。
「てめえがいいとこの坊ちゃんなのは十分思い知らされてきたけどよ、そこに胡坐をかいて相方を不安がらせるような怠慢はするなよ」
「ブラッドリー!?」
「こっちの世界に賢者の実家がない分、俺が陰湿な舅役をやってやる。感謝しろよ」
「陰湿な舅っていうか、意地悪な姑って感じじゃな」
案の定スノウが横から茶々を入れた。そのせいでやや格好はつかなくなったものの、ヒースからすると真正面から悪態をつかれたようなものだ。引っ込み思案で繊細な彼なら傷ついたのではないか、とヒースの様子をそろりと窺う。
「賢者さまに親身になってくださってありがとうございます」
完璧な微笑を、唇の端まで崩さないまま平然とヒースが言い返した。ブラッドリーがやや気圧される。普段、北の魔法使い相手に敬語を使わない分、そのあからさまな言葉遣いに「威嚇」という単語が頭に浮かんだ。
「ブラッドリーちゃん、若い子たちが青春してるからって僻むのは大人げないぞ」
「大人げないのはお前らの方だ。若くて地位のある男にペコペコされて喜びやがって」
「もう! そういうところじゃぞ!」
「あの、俺たちの仲を案じて親身になってくださるのは嬉しいんですけど、しばらくはふたりの間で解決できるよう、見守っていただけませんか?」
双子とブラッドリーのじゃれ合いの隙間に、ちょうどいいタイミングでヒースが声をかける。
「おお、我らとしたことが、ちょっと熱を上げてしまったな。年長者としての行いが報われたような気がしてつい」
「ブラッドリーちゃんには我らからきつく言いつけておくからの」
「お願いします」
「おい、なんでそういうまとめ方になるんだ」
「賢者さま、行きましょうか」
ヒースに手を取られる。わざわざ手袋を外したらしい。まばゆいほどの白い手だ。夢みたいに柔らかくてすべすべとした感触に、思わず振り払いそうになる。自分には釣り合わないもののように思えて。
「どうしました?」
ヒースは微笑を浮かべたまま、その表情とは反対に強引にも思える力でこちらの手を引き寄せた。ふらつきながら彼に連れ出される。「仲良くね」という双子の声が背中に投げかけられるのを感じた。
廊下へ連れ出され、周囲に人の気配が無くなってから「あの」とヒースに声をかける。振り返った彼の顔に、窓から差し込む光が当たって、光を含んだ青い瞳の美しさに一瞬見惚れそうになる。
「どうかしましたか」
「あの、ヒース、みんなに話しすぎじゃないですか?」
「なにがです」
「分かってて言ってますよね!?」
ついムッとした顔で言い返すと、ヒースは作り物めいた笑顔を崩して、悪戯がバレた子供のような、年相応の笑顔を見せた。
「気づいてたんですか」
「別れた後に気まずくなるから、やめてって言ったのに……」
「でも、俺はそのお願いを了承していませんよ」
それはそうだけど、本当の身内以外にもここまで教えてしまうとは予想に無いだろう。引っ込み思案なヒースならなおさらだ。
「東の魔法使いはさっき言った通りですし、スノウ様とホワイト様も、普段俺たちを見守ってくださっているんですから、何かあった時のためにも教えるべきでしょう」
「うう……」
その通りではあるのだが、うまく言いくるめられている気がする。
「そんなに、俺との関係を広められるのは嫌ですか?」
唇は笑っていたが、整った眉や目元に、苦痛に耐えるような陰がちらついていて、ついほだされそうになる。まるで俺の方が不誠実なことをしているようだ。だからなのか、言わずにいようとしていた本音が口から漏れる。
「……俺、ほんとうは、ヒースと別れようと思ってたんです」
「やっぱり」
「分かってるなら、」
「分かってたからこそ、先手を打ってみんなに広めたんですよ。このせいで、賢者さまが別れを切り出しにくくなったでしょう? みんな、俺と賢者さまが結婚まで見据えた仲だと思い込んでる。俺からするとすごく気分がいいですよ。普段、真面目に過ごしてたおかげでこんなに信用を得られるものなんですね」
そう語るヒースの顔は、まるで悪戯が成功した子供のように無邪気で、話している内容との差異に呆然としそうになる。俺は少し怖くなった。ヒースの言動そのものより、同じ出来事を前にしているはずなのに、俺たちふたりの見ているものがあまりにも違いすぎて。
「……ヒースは、怖くないんですか? いつか俺に嫌われるかもとか、別のふさわしい人が相手の前に現れるんじゃないかとか」
「俺はもうその段階はとっくの昔に通り越してますから」
「段階?」
「俺は、どうしても賢者さまのことを俺のものにしたいんです」
ひたと俺のことを見つめる瞳。絵画の中の天使のようだ、と普段なら思わせてくる彼の瞳が、今だけ猛獣のような光を帯びている。
「もっとふさわしい人が現れたって、身を引いたりなんかしませんよ。むしろ取られないよう牽制して張り合うでしょうね。言いふらしたことについて、卑怯だとか、不誠実だと思われているかもしれません。賢者さまを傷つけたことは、申し訳ないと思っています。でも、後悔は全くしていません。告白するのがあと一日でも遅れていたら、俺以外の誰かのものになっていたかもしれないって、今でも思ってるんです」
「か、考えすぎですよ……。俺のことをそんなに好きになってくれる人なんて、ヒース以外にいません」
「本当にそう思ってるんですか?」
まっすぐに俺を見据えて、ヒースが言う。
「魔法舎にいる全員が、心から祝福してくれると思ってるんですか? 何人かは内心悔しがる奴が出てくると俺は確信してますよ。そのくらい、あなたは何も見えてないと思います」
そんなの、嫉妬混じりでそう見えているだけだ。そう反論したいのに、有無を言わせぬものが彼の言葉に表れていて、俺は何も言えなくなる。恨みがましい目で見たつもりだったけど、「そんなに可愛い顔でお願いしても、お付き合いの報告を撤回しに行ったりはしませんからね」と言われる。
「賢者さま、いつか恋人になるのを受け入れてくれる日が来たら、俺に教えてくださいね」
「……もう既に別れられない空気になってるじゃないですか」
「でも、賢者さまの口から了承してもらうのとでは違います」
「もし俺が別れたいって言ったらどうするんですか?」
「受け入れるしかないでしょうね。そうなったら俺は賢者さまにふられたみじめな男として扱われるし、北の魔法使いには生涯ずっとそのネタで馬鹿にされるでしょうけど」
「……」
そんな風に言われると、ますます別れを切り出しにくくなる。でも、それさえもヒースは分かってて言っているのだろう。ふと、ヒースに両手を包み込まれる。白い顔がすぐそこまで迫った。
「まだ、別れたいですか?」
前髪越しに透けた青い瞳が俺を見つめる。こちらを責めるように、慈しむように愛でるように引きずり落とすように、不可思議な色をたたえた両目。俺は目を逸らそうとして、今度は整った鼻梁や唇が自然と視界に入った。
「……保留でお願いします」
「はい」
結局、関係は進展してないのに、俺の返事を聞いたヒースは嬉しそうだった。彼にとってはもう勝ちの確定したゲームなのかもしれない。あとは勝敗が決するまでの期間がどれだけ長引くか、というだけで。俺はそれについて責めることができない。何故なら、ヒースにこうやって強引に求められている状況も、少女漫画みたいで嬉しいと言う心の声が、頭の片隅から聞こえているからだ。
あれから一か月後、談話室で、ティーセットを前に俺とヒース、スノウとホワイト、ブラッドリーでお茶会をした。奇しくもヒースとひと悶着あった日と同じメンバーである。
「いやあ、賢者とヒースが今も仲良くやっているようで嬉しいのう」
「最初は賢者ちゃん、不安そうな顔をしていたからね」
「あれ、気づいてたんですか」
俺の様子には気づかず、盛り上がっていたとばかり思っていた。
「だって、賢者ちゃんって心配性なところがあるし、変に寄り添って不安を助長させてもと思ってな」
「なんにせよ相手がヒースならそうひどいことにはならぬだろうと思っておったから、それ以上は追及しなかったが」
「光栄です、スノウ様、ホワイト様」
ヒースが完璧な社交の面を被りながら言う。
「欲を言えば子供を迎え入れて温かい家庭を築くところまで見たいものじゃ」
「じじいは何でもかんでもすぐ孫に繋げるな」
スコーンを鷲掴みしてかぶりつきながらブラッドリーが言った。
「気持ち悪いからそういうのは控えろよ」
「こら! ブラッドリーちゃん水を差すようなことを言わない!」
「人の家庭に口を出すのは実際気色悪いだろ」
目の前でお決まりのように始まった双子とブラッドリーの喧嘩を尻目に、ヒースに声をかける。
「あの、お付き合いがいつかお試しじゃなくなる時、俺がヒースに言う言葉を二人で決めませんか?」
「二人で?」
「合言葉みたいに」
自分でも変な提案だと思うが、この一か月間、一生懸命考えて思いついたことが、これだった。
「俺がヒースを恋人として受け入れるのが、数日後になるのか、数か月後か数年後なのか分からないけど……俺はみんなと違って『約束』で自分の誠実さを証明できないから……あなたとのことを覚えていた証明にしたいんです」
少し気恥ずかしくて、ヒースの肩にもたれかかって、頬を埋めるみたいにして言う。すると肩が徐々に揺れ始めて、見るとヒースはくすくすと笑い出していた。愛おしげな笑み。青い目がこちらを見下ろしている。持ち上がった白い頬と、そこにかかる前髪の影。「合言葉なんか作らずに、賢者さま自身で考えた言葉を、ぜひ俺に贈ってください」と彼が言う。
「証明なんかしなくたって、あなたが俺のことを真剣に考えてくれてること、ちゃんと伝わってますから」
そう言ったあと、今度はヒースの方が身を寄せてくる。友達相手にするみたいに、ちょっと力を込めた大げさな仕草で。
「そこまでしてくれるのに、今すぐにお付き合いをOKしてくれないんですね」
悪戯っぽい声でそう言われて、気恥ずかしさに首をすくめる。
「まだ、そこまでの決心ができてないので……」
その言葉は本心だった。けれど、ヒースからの一方通行じみた愛が心地良すぎて、もう少しだけそれに浸っていたいというのも、先延ばしにしたい理由の半分くらいを占めていた。それを正直に打ち明けたら、彼は今度こそ声を上げて笑ってしまうかもしれないけれど。