紫陽花の咲く庭園を、彼と散策した日のことを覚えている。
いかにも梅雨時らしい天気だった。雨こそ降っていなかったものの、湿度が高く、服の内側で肌がじんわりと蒸されていく。それを鬱陶しいと思いながら、彼の後をついて行った。
紫陽花の群れの中で、彼の姿は光を含んでいるかのように冴え冴えと白かった。彼の身につけている上下の服は、じっと見なければ分からないほどに銀糸を混ぜて作られているから、そのせいだろう。白い袖が、夢のようにゆらゆらと揺れているのを、どこかぼんやりとした頭で眺めた。
彼がふいに立ち止まる。手が伸びて、傍の紫陽花にそっと触れた。それは他のものと違って、血のような赤色をしていた。
「これだけ赤い」
「そうですね」
土によって色が変わるのは知っていたが、ここまで赤いものは初めて目にした。普通、赤い紫陽花と聞くと、赤紫に近いものや、薄桃色のを想像するだろう。けれど彼の気を引いたそれは、絵具を塗ったかのようにはっきりとした赤色をしていた。
若が、音もなくその紫陽花へ顔を寄せた。鼻先が花に埋もれるかというところで止まる。香りを嗅いでいるのだと分かった。
その時オレの視線は、花ではなく彼の目元に注がれていた。目を閉じたことで、無防備に晒された白いまぶたに、何故だかひどくぞくりとした。目をふち取る長いまつ毛までがはっきりと分かる。そのまつ毛の隙間を、この生暖かい空気が今も通り抜けているのかと思うと、奇妙な興奮が胸を満たしていった。
今ここで、この人を無理やり抱き寄せたらどんな顔をするだろうと不意に思った。その衝動に体が従いそうになった瞬間、若が花から身を離してオレに微笑みかけた。
「色は違っても、香りは同じなんだね」
そう言って、また背を向けて庭を散策し始めた。
オレは後ろめたい気持ちのせいか、不埒な考え事を見透かされて釘を刺されたような錯覚がして、変にどぎまぎしながら彼の背に話しかけた。
「気に入ったなら、屋敷の庭に移すよう手配しましょうか」
「いらないよ」
こちらを振り返らないまま若が言う。
「トーマと同じ色だから、屋敷にあったら見間違えそうになる」
一瞬の間の後に、上着の色を指しているのだとようやく理解することができた。
だから目を惹かれたんですか、と聞くことは流石に躊躇われた。
黙って後をついていくオレの前で、そばの花に若が手を伸ばす。花びらの上にひっそりと残っていた雨の雫が、触れた途端に若の指先へ伝っていった。透き通った爪が一瞬で濡れていく。湿度のためか、彼は手袋を外していた。
その指を口に含めたら、とまた不埒なことを考えそうになる。
彼と庭園を離れる際、ふと赤い紫陽花を振り返ってみた。薄青い花々に埋もれた中で、それはどこか恨めしそうにこちらを見つめているような気がした。