「神里様は優秀な忠犬を飼われているようで、愚鈍な部下ばかり持つ私としては羨ましい限りです」
とある料理屋の一室で、脂ぎった顔の男がニヤつきながら円卓越しにそう言った。こちらも反射的に笑みを浮かべてみせたが、内心もう口さえ聞きたくないと思った。
会食と称して、それなりの値段がする店に連れてこられたが、こういう個室を用意しての談話というのは、やはり楽しくないことばかりだ。部下さえ同席させずに話す内容といえば、おおかた身内の愚痴や商売敵への悪態、上の者に対する不満である。しかし、それがましに思えるほどのことを聞かせられるとは。
「神里家の主人は家司のことをたいそう可愛がっている」と、稲妻で商売をしている者なら一度は耳にしているだろうに。社奉行に遠回りな皮肉を聞かせられるくらいには、大きな後ろ盾でもあるのだろうか。それとも、こちらの失言を引き出したくてわざと尊大な態度をとっているのかもしれない。
どちらにしても、真面目に相手をすべきではないだろう。ここで正直に「うちの家司のことを随分下に見ているようですね」などと反応したら「あなたの家臣のことを指して言ったわけじゃありませんよ」と揚げ足取りをされるだけだ。だから、品の良い笑みを浮かべてこう言ってやった。
「うちは飼い犬に良い餌をあげていますから、それに見合った働きをしてくれるんですよ」
「ほう」
淀んだ目がぎらりと光る。男は手元の酒をぐいとあおった後に、にやついた笑みのままこう続けた。
「良い餌ですか。それはどんなものなのか、ぜひ参考にさせていただきたいですね」
「大したものではありませんよ。それよりも、そちらは餌よりそもそもの躾をちゃんとされた方が良いのではないですか?」
贅肉に埋もれているために、胡麻のように小さな目が見開かれる。脂ぎった顔が怒りで赤くなっていくのを、どこか冷めた気持ちで眺めながら、「親切」な陳言を男に聞かせてやった。
「お宅の末端が、あの有名な金貸屋のご令嬢にちょっかいをかけているようじゃありませんか。耳障りの良い言葉でその気にさせて、お小遣いを貰っているようですね。お宅の金払いがそんなに悪いのかと噂になっていますよ。調子に乗って家の金まで搾り取ろうとする前に、あなたから部下に忠告しておいてはいかがです」
そう言い終わった後の、男の無様な様子と言ったら。血が頭に昇り切ったのか、贅肉で弛んだ顔が真っ赤に膨れ上がっていて、まるで梅干しのようだった。正論故にこちらに怒りをぶつけることもできず、鼻息を荒くしながら押し黙っている姿に、ようやく胸のつかえが下りたような気がした。
優秀な家臣を馬鹿にされたというのに、それを咎めることすら、相手の後ろ暗いところを突いて返さなければならない。全く、社交というのは馬鹿馬鹿しいことばかりだと思う。
それにしても、他人の家司を犬呼ばわりするのは失礼にも程があるだろう。確かに彼は、よく躾けられた犬のように素直で従順で、働き者なうえに可愛らしい、理想の従者であるが。
ところで、彼の家司たる働きぶりを「良い餌」のためだと答えたが、それはあながち嘘ではなかった。
餌と表現して良いものかは分からないが、少なくとも彼が望んでいるものを、自分は与えられていると思う。自分を慕ってくれている飼い犬に特別なご褒美をあげるのは、主人として当たり前の役目だろう。
ただ、その「餌」の実態が、主従としての形からかけ離れた、あまりよろしくないものであるという問題が付き纏ってはいるのだが。
薄暗闇の中で、彼の体を抱き寄せる。腰から背中、肩から首筋まで手を這わせると、引き締まった体の感触がよく分かる。鍛え上げられた肩に触れる瞬間は特に、今から自分は男とセックスをするんだと分からせられているようで、下腹部が甘く疼き始めるのだ。
両手で頬を包み込んでやると、くすくすと笑いながらこちらに身を寄せて、彼がそっと囁いた。
「若は撫でるのがお上手ですね」
「そうかな」
「そうですよ。くすぐったくて気持ちいいです」
そう言って目を細めて笑う彼と見つめ合う。
この薄闇の中でも分かるくらい、彼の顔は本当に綺麗だ。長いまつ毛に囲われた、丸い大きな目がしっとりと潤みを帯びてこちらを見つめている。整った鼻筋も、薄い唇も、ふとした時に見惚れてしまいそうなくらいだ。
それでもやっぱり、彼は明らかに女性的ではないし、彼から見た私も全く女性らしい部分は無いのだろう。普通、彼のような青年は、柔らかい女体を抱いているのが楽しい年頃なのではないか、と時々不思議に思ってしまう。もし彼が望むなら、見目の良い女性をあてがうこともできるというのに、彼が求めるのは私ばかりだ。
「……なんか、変なこと、考えてません?」
「変なことって?」
「またしょっぱい水まんじゅうを食べさせようとしてるとか……」
可愛らしい発想に思わず「ふふ」と笑ってしまう。「どうだろうね」と誤魔化せば「若は意地悪です」とどこかしょげた声で返される。本当に可愛くて素直な子だ。
けれど、「意地悪」という言葉は閨の中ではきっと彼の方が当て嵌まるだろう。だって「やめて」とか「待って」とこちらが口にしても、彼は聞いてくれないのだから。
「脚、上げますね」
そう言われると同時に、膝の裏を持ち上げられる。でんぐり返しのようになったために、自然と視界から彼の姿が消える。いま彼の目に映る私がどんな姿をしているのか、正直考えるのも恥ずかしい。早く終わってくれないかと思うものの、まだ準備段階だと分かっているために、より鬱々とした気持ちが増していく。
遠くで水っぽい音がして、彼が指に潤滑油を絡ませたのだろうと察する。彼に聞こえない程度の大きさでため息をついてそっと目を閉じた。これから自分がどれだけの痴態を晒すのかと思うと、やはり平常ではいられないのだった。
ずぷ、ずちゅ、という下品な音をどこか遠くに感じながら、ただ彼の律動に身を任せている。
ずぷずぷと遠慮なくピストンを繰り返されているせいで、息つく間も無く快感が与えられている。突き入れられるたびに、尻たぶが叩かれて、中が押し広げられて、甘やかな痺れが頭を満たす。気持ちよくて、手足に力が入らなくて、気が狂いそうで。だから一瞬だけでも止まって欲しいとお願いするのに、彼は全く聞いてくれない。
「あ、はっ、とーま、まって……っっ」
「んっ、無理ですよ、だって、こんな……っ」
そう言い終わるのと同時に、ずちゅん、と奥まで叩きつけられる。背中から頭のてっぺんまで一気に電流が駆け抜けて、思わず頭を仰け反らせて、舌を突き出して喘いだ。
「ひいぃっっっっ!?」
「あは、若、すごい顔……」
ぐ、ぐ、とそのまま先端をぐりぐり押し付けられて、ぞくぞくとした痺れが背中を這う。奥に入れたまま浅い出し入れをされて、一番太いカリ首のところが前立腺を刺激する。
そこを擦られると、気が遠くなるほどに気持ちいい。前立腺を圧迫されるたびに、透明な液体がぷしゅ、と吐き出される。先走りかと思ったそれは、どうやら色の薄くなった精液のようで、つまり自分はそこをいじられるたびに軽い絶頂を迎えているらしい。
「はぁっ、だめ、イってる、とーまぁ……」
「えらいですね、若。前を弄らなくても、後ろだけで射精できてるんですから」
言い聞かせるようにそう言われて、改めて自分の淫らさに恥ずかしくなる。彼とこういうことをする前は、こんな体じゃなかったはずなのに。後ろの方で快感を拾うことに、この体はすっかり慣れてしまった。
ピストンがより激しくなる。ずちゅずちゅと音を立てて出し入れされる。多分、穴の縁で精液と潤滑油が混じり合ったものが泡立っていることだろう。
体が熱い。息ができない。立て続けにイってるせいで、体が言うことを聞かない。助けて欲しくて、目の前の体に縋り付く。彼がこの快楽の原因だと分かっているのに。もう何も分からない。普段の自分が、彼に対してどういう態度を取っていたのか。どんな顔をして、どんな事を話していたのか。それすらも今は思い出せない。
ギリギリまで引き抜かれる。奥まで叩きつけられる。それが繰り返されて、穴の縁がめくれ上がりそうだ。もう何回目か分からなくなったくらいに、どちゅん、と奥を突かれた時、耳元でトーマが囁いた。
「今日、ほんとの奥まで入りそうですね」
「おく……?」
奥、と言ったって、さっきもそうやって奥までピストンをしていたじゃないか。そうぼんやり頭の中で思っていると、ぐ、と先端を行き止まりの部分に押し当てられる。その瞬間、普段は感じないような、ぞく、という寒気が身を包んだ。ぶるりと体を震わせると、トーマにまた囁かれる。さっきよりも嬉しそうな声で。
「やっぱり、分かるんですね。されてる方も」
「……っ?なに、が……?」
「若、ちょっとじっとしててくださいね……」
そう言うと、腰を抱き寄せられてより密着させられる。先端を押し込まれた部分に甘やかな痺れが走って、けれどそれ以上の快感がピストンによってもたらされた。
「ひあぁっ、ヒ……ッ、はっ、あぁ、あ……っ」
一発一発が、体に叩き込まれているかのように重い。激しい律動に舌を噛みそうになって、慌てて歯を食いしばるも、それでも抑えきれない喘ぎが緩んだ口から溢れていく。
気持ちいい。何も分からない。彼についていくのがやっとで、自分の体が拾う感覚を制御できていない。一方的に快楽を叩きつけてくる彼が憎い。
「あ、あ……っ、あ、だめ、とー、まっ」
「ん、がまんして、若、」
そう言って、彼がずちゅっ、と奥に叩きつけた時、感じたことのない感覚が身を貫いた。
「ぁ…………」
ぷつ、と何かが開いてしまったような、奇妙な感覚。こじ開けられた、と本能的に察した瞬間に、頭が真っ白に塗りつぶされた。次いで、耐えられないほどの快感がどっと押し寄せてきた。
「ひいいいぃっっっ!?!?」
頭が痺れる。ぐずりと溶ける。足の先がピンと伸ばされるのが分かった。そうでもしないと快感を逃せないという風に。
目がぐるりと天を向いて、閉じられなくなった口の端から、唾液が顎を伝って垂れていく。唾液が肌を這うその感触さえ、愛撫のように気持ち良い。随分と無様な顔をしているだろうに、トーマがうっとりと覗き込んでくる。
「はは、若、かわいー……そんなに、気持ちいいんですね」
至近距離から見つめ合った彼は、いつもと違う、獣性を帯びてぎらついた瞳をしていて。吊り上がった唇も、普段の彼なら顔に浮かべないような、支配欲と加虐に満たされた笑みを形作っていた。
彼の視線に、ぞくりと胸がざわめく。それと一緒に、中が締まって彼のモノをより感じようとする。彼の欲に応えるかのように。
「あ、あ、とーま、早く……」
早く、終わらせて。
そう言おうとした。これ以上続いたら、頭が壊れてしまいそうだったから。早く解放されたかった。けれど、何を勘違いしたのか、見つめ合った萌葱色の目が瞳孔を開くのが分かった。明らかに興奮し切った彼の表情に、反論する暇も無く、律動が開始される。
「っ!?ひっ、あっ、はぁっ!あっ、ひいぃっっ!?」
激しいピストンに、腹の中をめちゃくちゃにされる。入り口から奥、それよりずっと奥まで開かれて、ぐちゃぐちゃにされて。トーマの熱が、これ以上ないほど中を満たしていく。堪らず、舌を突き出して喘ぐと、その舌にしゃぶりつくように口を塞がれた。
「ん、むっ!ん゛、ふうううぅ、う゛う……っっ!!」
舌を吸われて、唾液を注がれて、飲み込めなかった分が口の端から溢れ出て。それでも律動は止まないので、上からと下からの快楽に挟み撃ちにされる。
口を塞がれたせいか、吐き出せなくなった快楽が中に積み重なっていくようで。一層激しさを増す律動に、頭がどんどんおかしくなっていく。
気持ちいい。逃げたい。怖い。狂ってしまう。早くイかないと、壊れてしまう。でも、イくのが怖い。
そう思うのに、着実に、波が足元を濡らすようにして、絶頂が押し寄せてくる。中にある彼のモノも、明らかに絶頂が近づいていて、限界まで膨らみ切ったそれが、肉ひだを押し潰してはもみくちゃにしている。
どちゅん、と突かれるたびに最奥がきゅんと疼いて、もう、ダメだと思った瞬間に、一気に入り口まで彼のモノが引き抜かれた。
「んぅ…………っ!?」
同時にキスからも解放されて。満たすモノが無くなった腹の底がねだるようにひくついて、唾液でベトベトになった口で必死に酸素を取り込んで、穴の縁で引っかかってる先端を少しでも味わおうと、肉ひだがそこに吸い付いた瞬間に、最奥まで叩きつけられた。
「~~~~〜〜〜〜〜っっっっ!!!!!」
頭が、真っ白になっていく。達したのだ、と数秒遅れて自覚した。気持ちいい、という感覚ばかりで頭が埋め尽くされていって。けれどそれと同じくらい、恥ずかしいという気持ちもあった。だって、こんな、男のモノを後ろに入れられて、よがり狂って、はしたない声をあげて、涎まで垂らして、自分は、こんな姿を、トーマの前で。
トーマの精が中に吐き出される。宥めるように、中で緩やかな律動をされる。けれどそれが、一滴残らず注ぎ切るための行為だと分かっているせいか、はずかしいとかみじめだとか、そういうものに近い興奮に包まれるのが分かった。
汗を拭い、衣服を整えて、彼と二人で布団に横たわる。まだ体が火照っているので、布団をかけずにいる方が涼しくてちょうど良かった。
向かい合ってくっついて、彼の頭を胸に抱く。事が終われば、いつもこの姿勢になる。そうすれば、彼の顔を見ずに済むから。
あんな声を出して、散々に乱れておいて、どんな顔をすればいいのか未だに分からないのだ。朝になれば、日差しの下で笑う彼の姿に安堵して、いつも通りの対応をできるのだけれど。
胸に抱いた彼の頭を撫でてやりながら、ひそめた声で尋ねる。
「気持ちよかったかい」
「……そりゃ、もう」
恥ずかしそうに答えるその声には、さっきまでのぎらついたものは含まれていない。
「良かった」
穏やかな気持ちでそう口にする。少なくとも、トーマが求めているものを与えてやれた、という安心感で。
心地よい疲れに導かれて、睡魔が訪れようとしている。彼の頭を撫でる手が少しずつおざなりになっているのを自覚しながら、眠りに身を任せてしまおうか、と思った瞬間に、トーマが口を開いた。
「若は?」
「ん……?」
「若は、気持ち良くなかったですか」
何か、言いようのないものを感じる声だった。行為の際中の彼を想起させるような、どこか張り詰めた声。どう答えるべきか、と考えを巡らす余力はもう残っていなくて、正直に答えるしか無かった。
「……気持ち良かったよ」
観念してそう告げると「嬉しいです」と無邪気な声が返ってきた。抱きしめられたまま、まるで犬がするように鼻先を胸に擦り付けてくる。思わずくすぐったさに身をよじった。
あんまりにもいじらしくて、次もまた彼に応えてあげようと思ってしまう。行為をしている間は、恥ずかしくて堪らないというのに、喜ぶ彼が愛おしくて、何度でもしてあげたくなるのだ。
彼を抱き寄せて、淡い汗の匂いを嗅ぐ。可愛い可愛い、素直で忠実な彼のために、次もまた「餌」を用意してあげようと、睡魔に冒された頭で薄ぼんやりとそう思った。