毒美(サイコダイバーシリーズ)

「いやあ、本当によかった……美空先生にやっていただいて正解でした。いや、全く、何とお礼を申し上げるべきか__」
美空の住むマンションの応接室で、中年の男が皮のソファーに腰を下ろしている。顎からシャツの襟にかけての空間に、見苦しい贅肉がたっぷりとはみ出している男だ。もし動物に例えるなら、トドが似合うような容貌だった。その男が、額の汗をハンカチで拭いながら喋っている。
美空は、あのひっそりとした微笑を口元に含みながら、男の言葉を静かに聞いていた。不意に、それまで最低限の返答しかしていなかった美空が、珍しく自分から口を開いた。
「何か、揉め事でもありましたか」
言いながら、自身の鼻筋の辺りを指差す。対面している男の、ちょうど美空が指した辺りには、どす黒い青痣ができていた。美空はこの男とつい先日会ったばかりだが、その時には無かったものである。
「ああ、これですか__」
男は気弱そうに目を泳がせて口籠っていたが、観念したように話し始めた。
「いや、ついさっき、見知らぬ男に襲われましてね__ゴリラみたいな腕力の男だったもので、こんな風に……」
「へえ__」
それを聞いて、美空はおかしそうに唇をほんの少し吊り上げた。
「心当たりはあるのですか」
「ああ、まあ……女関係の揉め事があったばかりなので、それかと……いえ、美空先生との件には全く関わりがありませんので、安心してください」
美空は答えなかった。返答の代わりのように、組んでいた脚を変える。そして、先ほどより明らかに低い声で「ところで」と言った。
「実は、あなたにお会いしたいという知り合いが居ましてね」
「私に?」
男の顔があからさまに動揺を含んだ。美空はその表情をじっくりと眺めながら、一文字ずつ区切るようにして、ゆっくりと声を上げた。
「ぶすじまじゅうたさん、という方なのですが」
「は__」
男の唇が困惑で歪んだ。男の耳には、美空の口にした言葉が未知の言語のように聞こえていた。それが人名だと理解するのに数秒はかかった。
「その、方が、私に何の用で__」
「それはな」
男の背後から、低く唸るような声がした。男が振り返る。ソファーの後ろに、長身の男が立っていた。
美しい男だった。この男が”ぶすじまじゅうたさん”であることを男は無意識に察した。目があった瞬間に、毒島は唇の両端を吊り上げた。唇の下から、獣の牙が現れる。毒島が片脚を持ち上げた。凄まじいことに、その片脚のつま先が、ソファーに座る男の頭より高い位置にまで持ち上がった。
「こういう用件だよ!」
咆哮と共に、その片脚が振り下ろされる。脳天にかかとを落とされて、顔中の贅肉を揺らしながら男がテーブルにぶっ倒れた。それを追って毒島が獣のようにソファーを超えて飛びかかる。目の前で繰り広げられる乱闘に、美空はただ微笑を浮かべて眺めるだけであった。