いつになく、ひるこの婆あが静かだった。理由は分かっている。美空の尻に見惚れているからだ。
美空が窓際に身を寄せて、向かいのビルの様子を窺っている。その背後にひるこが立ち、そのまた後ろにおれが立っているという状況だった。
それにしても、貞淑というものを学んでいてもおかしくない年齢の婆あが、若い男に性欲を向けている姿というのはいつ見ても阿呆らしくなる光景だった。ひるこは未だに、スラックスに包まれた美空の尻を微動だにせずに見つめている。すると、ひるこが不意に手を伸ばして、美空の尻をつるりと撫で上げた。そして猿を思わせる俊敏さで、おれの背後に回り込む。美空が振り返る頃には、部屋の隅まで逃げ込んでいた。
おれと目が合った美空は、何を思ったか目を細めてみせた。思わずおれは反射的に声を上げていた。
「おれじゃない」
「分かっていますよ」
背後でひるこがひひひと笑っているのが聞こえる。美空がまた窓の向こうを警戒し始めると、いつのまにかそばまで来ていたひるこが、おれの耳元で囁いた。
「毒島よ、おぬしも美空の尻を触ってみるとよい」
「気が触れたか婆あ」
ひるこを手で払いながら言うと、尚もおれに付きまといながら続ける。
「なかなか良い手触りだったぞ。ここで触っておかぬのは勿体ないとは思わんかえ」
おれはつい黙り込んで、美空の尻を見た。そして、そろりと美空に近づくと、小さい尻を鷲掴みした。確かに、中々の尻だった。女の子のような柔らかさは無いものの、心躍るような弾力はあった。美空がこちらを振り返るのと、おれが手を引っ込めるのは同時だった。
「おれじゃない」
「美空、わしは見たぞ。毒島がおぬしの尻を撫でておった」
「ひるこてめえ、さっきは庇ってやったのに」
「いつおぬしが庇ったというのじゃ」
「毒島さんですよね」
美空はあのうすら笑いをしながら、いつものトーンで言う。おれはむしゃくしゃし始めていた。
「なんでひるこが良くておれは許されないんだ」
「別に、二人とも許したつもりはありませんが」
ひひ、とひるこが背後で声を上げる。
「なんじゃなんじゃ。もしや折檻でもするつもりなのか」
気色の悪い声でくねくねと身をよじるひるこを一瞥したところで、おれは首筋にひやりとしたものを感じた。おれが身を伏せるのと、美空がしゃがみ込むのは同時だった。さっきまで頭があった場所を、窓から投げ込まれたナイフが通過する。一本くらいはひるこの婆あに突き刺さってくれないかと思ったが、どうにもそれは叶いそうになかった。