遺書代わりの小説9

 女児というものが大抵そうであるように、私もまた文房具や雑貨などのこまごまとしたものを愛していた。特に好きなのが消しゴムだった。色つきのものや香りつきのもの、動物や食べ物の形をした消しゴムも好きだった。
 消しゴムのいいところは、なんといっても見た目のかわいらしさだけでなくその実用性にあるだろう。実用性。これは本当に大切なことだ。だって実用的なものであれば、親にねだっても買ってもらえる。勉強に使うものであればなおさらだ。

 たとえば、半透明のメロンソーダ色をした消しゴムがそうだった。中には銀色のラメが散っているものだ。私は手の中で眺めまわしては、「解体したい」と強く思った。子供の頃、意味もなく消しゴムにえんぴつの芯を突き刺したり、数十個のかたまりに千切るという残虐な行いをしている男子が何人かいたが、私はそれとは少し違っていた。まず消しゴムを、まっぷたつに切り分ける。そしてそこから見える断面を観察するのだ。
 全ての消しゴムにそうしたわけではない。見た目が美しいものでなければならなかった。そして、華美すぎてもいけなかった。たとえばイヌやねこを模したものだったり、りんごやバナナの形をしたのはダメだ。大抵が、シンプルな四角い形をしていた。それが半透明に透き通っていたり、グラデーションがかっていたり、しましまに色づけされていたら私の「解体」欲が刺激される。すべては好奇心によるものだった。内側を覗き見てみれば、どうやってこの消しゴムを作ったのかが判明するような気がしたのだ。
 
 私は父親のところに行って、「これをふたつにして」とお願いした。父親は消しゴムを綺麗に割るのが上手だった。私は分断の仕方にもこだわりを持っていて、切り口がきれいでなければいけないのだ。ハサミで切ろうとすると、途中で刃が押し負けるのか、切り口が斜めになってしまう。本当ならカッターを使えればいいのだが、家にカッターはなかった(今思うと、子供の私にカッターを触らせたくなかった親がついた嘘だろう)
 その点、父親はかなり手先が器用だった。彼はまず爪の先で、消しゴムにうすく切れ目をつける。そして切れ目を真ん中にして、消しゴムの端と端を持ち、ふたつに割るのだ。そうすると、カッターで切り分けたみたいにきれいな断面ができる。
 この頼みごとをすると、父親はきまってとても嬉しそうにしていた。酒で赤く焼けた顔をくしゃくしゃにして笑顔を作り、私の手から消しゴムを受け取る。働いていることをねぎらったり、父の給金で暮らしていることをありがたがったりした時よりも、なぜだか嬉しそうにするのだ。

 部屋に戻り、私は消しゴムの断面を眺めた。透き通ったメロン色の内側に、銀色のラメが紛れている。爪の先で少し掘ってみたが、ラメが手の中に落ちてくることはない。私の視界の中で、消しゴムの中のラメは、夜空にある星みたいに「見えるのに取れない」ものに見えた。どれだけ刃物で削ってみても、だまし絵のようにラメがふっと遠くに移動してしまう気がした。
 この消しゴムはどうやって作ったのだろう。できあがった後、注射器の針みたいなもので、きらきらした緑色の液体を注入してできたのかもしれない。もしくはどこかの工場では、ラメ入りの緑のお風呂があって、そこに消しゴムを浸して色づけしているのかもしれない。小学生の私は真剣にそう考えていた。

 いちばん解体欲を刺激したのは、水族館だかのおみやげでもらった消しゴムだ。青みがかって透き通った形をしていて、小さなピンク色のくらげとか、白いイルカがフィギュアみたいにして中に閉じ込められているのだ。私は一目見た瞬間から興奮した。切り分けてみたい、と強く思った。特にくらげやイルカの断面は、一体どうなっているだろう。
 さすがにおみやげの消しゴムを父に割ってもらうのは気が引けて、だれもいない時、ハサミで無理やり切り分けた。抵抗を感じながらもハサミの持ち手に両手で力をこめていくと、ぱちんと刃が擦れ合ったあと、おそろしく不格好な切り口がごろりと目の前に転がった。
 ちょうど、ピンクのくらげを真ん中から裁断する形になっていた。でこぼこした切り口を見る。くらげの小さな触手部分が、だまし絵のように歪んで切り口の中に埋まっている。黒ゴマのようにちっちゃな「目」が、くらげの顔面部分にあった。切り口側から見ると、その目はかなり近くにある。消しゴムの表面から眺めている時は、どれだけ掘っても触れなさそうに思えたのに。点のような「目」をしていた。
 なぜだか私は、その「目」を見た瞬間にこの消しゴムへの熱意を失くしてしまった。この「目」がひどく不気味で、グロテスクで、奇妙なものに見え始めたせいだ。エビについている目を見た時の感情に似ていた。
 私は観察するのをやめた。本当は手元に置いておくのも嫌だったが、捨てたことが母親に知られると、ひどく叱られるだろうと思い、結局、隠すように筆箱の中に入れて、学校へ持っていった。それでも、筆場尾のふたを開けるたびに、腐った食べ物を手元に置き続けているような嫌な感覚が、私の中にはずっとあった。