追ってくるあの日と「ジムノペディが終わらない」について

 つい最近、「ジムノペディが終わらない」が全文公開されていることを知った。


 これを知って、飛び跳ねそうなくらい喜んだ。なぜなら「ジムノペディが終わらない」は、かつての自分にとって入手不可能な小説だったからだ。

「ジムノペディが終わらない」とは?


 そもそもこれはなんなのかというと、東方projectに登場するマエリベリー・ハーンと宇佐見蓮子をメインにした同人小説である。
レビューをちょろっと読めばすぐに分かるが、陰鬱かつエログロな描写を含んでいるため、人を選ぶ作品だ。

 キッズ時代から同人小説にどっぷり浸かっていた自分に、これは手の届かない作品だった。
 なぜならオンライン上に投稿された作品ではなく、同人誌として頒布されていたからである。

 田舎住まいだった自分は、交通費やら宿泊代やらを理由に同人イベントへの参加を断念していて、ネットに投稿されていない作品を見ることを早々に諦めていた。なのでこの作品も手に取るのを諦めていたし、年齢制限的にも読めそうになかった(多分)(ここらへん時系列が曖昧なのでうろ覚え)
 いま思えば通販の仕方などを調べれば、(当時18↑だったと仮定した場合)いくらでも手に取る機会はあっただろうに、それをしないままここまで来てしまった。
 呆れるかもしれないが、若い頃は今よりずっとミクロな視点で生きていて、一度「自分にはできない」と思ってしまったらその印象がずっと続くことがよくある。人によってはこれが勉強だったり運動だったり人間関係だったりするが、自分にとっては「同人誌の入手」がこれだった。

 この作品の影響力は当時からすごかった。頒布されてしばらくすると、色んな創作者がこの作品に感化されて、イラストや小説などの三次創作を投稿し始めた。特に有名なのがサークル「凋叶棕」で発表された「捧げられたイメェジ」という曲だろう。自分もこの動画で本格的に存在を知った。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm22651749

欠けていく。奪われた椅子の数一つ。

私には、取り戻す術が見つからない。

 小説の内容が内容なだけに、押し付けるような勢いで勧める人はそうそういなかったが、まるで途切れることのないさざ波のように、この傑作の熱気はジャンル全体へ波及し始めた。やがてオフの同人作品に興味のない私の耳にまで、その存在が届くまでになった。この時ほど自分の環境を呪ったことはない。猫ミームの頭を抱える猫みたいになりながら、作品へのレビューブログや三次創作を舐めるように読んで飢えを満たしていた。

そして今に至る


 先ほど引用したニコニコ動画のコメントで「原著を読みたいけどもう無い?」とあるように、そもそもとして原著を読む手段すら無い期間がかなり続いていた。同人誌とはそういう一期一会な要素があるため仕方のないことなのだが、これもあって自分の中では「一生読むことのできない作品」というイメージが染みついていた。だからこそ、全文公開の情報を知って、飛び上がるほど喜んだのである。
 で、今回のことがあって色々と調べていくうちに、「ジムノペディが終わらない」には複数のバージョンがあることを知った。

https://touhougarakuta.com/book-review/hitohira-03
 こちらのサイトでかなり詳しく、「ジムノペディが終わらない」について解説してくださっているので、もし興味のある方がいれば読んでみて欲しい。圧倒的な熱量で、当時から今に至るまでの作品に対するイメージなども含めて語ってくださっている。

今回、どうしてわざわざ電子書籍版が存在することから語りだしたのかといえば、ひとえにそれが『ジムノペディが終わらない』につきまとう都市伝説のイメェジだからだ。(中略)

一方で、物語を読んだ人間が、心が狂うような読後感を味わうのも、また間違いではないだろう。人間の心や胃に突き刺さり、かき乱すだけの力を、この物語が孕んでいることもまた確かなのだから。
現実を犯し、人間の心を侵す力を、『ジムノペディが終わらない』は持っている。それは事実であり、現実だ。

 解説を読んで知ったのだが、前述した全文公開している「ジムノペディが終わらない」は、原著と違い和紀氏が執筆したものらしい(原著作者の海沢海綿氏と、和紀氏がお互いの作品を交換して執筆する企画だったとのこと)和紀氏はこの解説サイトで「こちらを入手する方法は、現状では存在しない。」と記載されていたのを知り、公開してくれたとのことで、本当に本当にありがたい……。

 こちらの解説記事から年月が経っており、色々変わった部分もあるようで自分なりに調べてみた。
 今現在、原著の電子書籍は公開停止しており、電子で読む機会があるのは

・前述した全文公開の和紀版
・BOOTHで購入できる再録合作版の「ジムノペディが終わらない-Re:Medianoid-」
の二つである。


 (再録合作版とはいえほぼ原著版の)作品を読める!? しかも電子版で!?
 あまりにもびっくりしてしまった。さきの全文公開に続き、この数時間の間に衝撃が続きすぎている。
 今すぐにでも読もうかなと思っていたのですが、これはちょっと姿勢を正して、ちゃんとまとまった時間がとれる時に両方を読むことにしよう……と考えを改めました。あと直前に精神統一もしておきたい。
 2011年に発表された同人誌が、今こうして10年以上の月日を経て、いろんな方々のご厚意によって読むことができる。本当にこれは感謝してもしきれないと思いました。

語り継ぐこと

 蛇足になるのだが、こういう風に「十年以上の時を経てあの頃追っていたものが目の前に降ってくる」ということが、東方ではよくある。別に東方に限らず、セーラームーンだとかおジャ魔女だとか、過去作がグッズ化や続編化されまた現代でも話題になる、ということは昨今では少なくないと思う。それでも東方で特別そういった傾向があるように感じられるのは、「後世に語り継いでいきたい」という想いがファンの間で一層強く浸透しているからだろう。

 古来より東方界隈では、より多くの人に東方を知ってほしい・正しい情報が伝わってほしいという気持ちのもとに、有志wikiがファンの手でいくつも作られたりと、「語り継ぐ」ことに関してはかなりの熱を持っていたと思う。先ほど引用した解説記事もきっとそういう熱を持って書かれたものだろうし、現在サーバー側のサービス終了で消えていったwiki・ブログ・個人サイトがたくさんあるけれど、それでもまだ生き残っている有志wikiが東方にはまだまだ存在している。こんな風に、語り継ごうとする方のおかげで、誰かの前に十年前のあの日が現れて、またその誰かが語り継いでいこうとする。私は東方の、こういった空気が本当に好きだ。

 以前別記事で、『ニコニコで「過去ログ機能」が無くなってしまったせいで、当時の熱狂をコメントから知る術が消えてしまった』と解説したことがある。

 だからこのインターネットの片隅で、当時の思い出を書き記しておきたいとも書いた。いまこうして「ジムノペディが終わらない」について振り返っているのも同じようなものだろう。記録さえしてしまえば、東方を知らない人にも「こんなことがあったんだな」と知ってもらうことができる。

 もちろん良いことばかりではなく、変に曲解してしまう人が現れたり、面白おかしく拡散されてしまう可能性だってある(特に私のように文才の無い人間が書いたものは……)
 けれどnoteやXとは違う、個人サイトという自分の手で掘り進めていかなくてはいけないインターネットの片隅で、ここまで読んでくださった方になら、この熱量が正しく伝わるだろうと私は思っている。

書き手にとっての物語は、書き終えた時点でエンドマークがつく。

読み手にとっての物語は、読み終えた時点でエンドマークがつく。

物語は、終わる。けれど、ジムノペディは終わらない。音楽が鳴り続けるように、噂話は人の口から口へと鳴り続ける。傑作奇書の噂話はどこまでも広がり、噂を耳にしたものは墓を掘り起こすように再版を求める。

『ジムノペディが終わらない』を、終わらせないように。