なぜ東方二次創作には■■が多かったのか・インターネットの閉塞性

 某所で東方について語っていた時、「東方神霊廟が流行った直後は、エログロ二次創作をよく見かけたよね」という話になった。
 本当にその通りで、特にグロについては神霊廟の前作にあたる「東方星蓮船」時代にはあまり見かけなかったのもあり、体感かなり多く感じた。
 東方神霊廟は、蘇った死者・蘇りに失敗した死者・操られる死体、という風に死に関係するキャラクターが多く登場する。そして神霊廟全体のテーマが「欲」であることから、生と死と欲を表現したいがために、エログロ感の強い作品が増えていたのかな……と今になって思う。

 ……という流れになった後で「でも、神霊廟以前も東方はグロが多かったですよね」とも言われた。
 本当にその通りで、東方というジャンルは何故か昔からエログロが多い。エロが多いのは、まあ男性ファンが多いジャンルだから……と説明がつく(?)が、グロに関してはよく分からない。
 大昔の私は、「東方は欠損してもすぐに回復するような妖怪ばかりだから、真っ当な人間ばかりの作品に比べてグロリョナラーが好き放題しやすいのではないか」と推測を立てていた。当時はこれが正解だろうと思っていた。けどそれ以降、「大怪我をしてもすぐ回復する肉体持ちのキャラ」が主役の作品が他にもたくさん出てきた。それでもエログロリョナ二次創作の数は、東方に及んでいなかった(ように外野からは見えた)唯一並び立つほどにグロが多かったのは、艦これくらいだろうか。
 つまりは私の推測が当たっていなかったことになる。
 これは一体どういうことだろう。

エロゲーとの類似性

 私は以前から、古いエロゲのシナリオと、東方の二次創作にはかなり近いものがあると思ってる。
 いや、エロゲがどういうものなのか分かんないよ!という人もいるだろうが、おおむね「表には陳列できない特殊設定や、アブノーマルな性癖を取り扱った、性的描写を含むテキストコンテンツ」と思ってもらっていい。ここでいう特殊設定とはいかがわしい意味合いのものだけでなく、鬱ゲーと呼ばれるような救いようのない悲惨な物語であったり、犯罪を助長させていると誤解されそうな、社会倫理に反していると思われそうなものも含んでいる。性的描写が0.1%でも含まれていれば全て「エロゲー」というカテゴリに入るため、R18描写の尺度は作品によってかなりマチマチである。

 現代において、エロゲをプレイしたことのあるオタクは全体の5%もいないんじゃないだろうか。そういう私も正直エロゲについては詳しくない。ただ、過去のインターネットでは現代のソシャゲと同じくらいにはエロゲが一大コンテンツだったので、「エロゲについて語っているオタクを観測することでエロゲとそれを取り巻く空気に詳しくなっていった」という感じだ。インターネットで青春を過ごしていた一定年齢以上の人なら、こういう方はけっこう居ると思う。

 エロゲで一般オタクにも認知されているものといえば、「沙耶の唄」「さよならを教えて」のようなグロ要素の強い作品だろう。これらはシナリオの特異性なども含めて、エロゲ文化に疎いオタクにも認知度が高い。特にさよならを教えては、「三大電波ゲー」のように語り継がれている。しかしグロ要素がこれらの作品の核であったかというとそうでもなく、「シナリオを書くために必要だったからこそ付随された要素」なだけな気もする。
 実際、当時グロ・リョナ要素の強いエロゲとして有名だった「死に逝く君、館に芽吹く憎悪」などは前述した二つは別枠として語られていたし。
 「エロゲーにグロ要素が多かった」のではなく、「奇異な世界設定の作品を書くための土壌に、エロゲーがあった」とした方が正しいと私は思っている。グロに限らず、特殊設定と呼べる全てのものをエロゲは受け入れていた。

 今では大人気健全ソシャゲコンテンツとなったFateが良い例だと思う。偉人をキャラクター化してお互いに戦わせたり露出度の高い格好をさせたり自害させるって、今でこそ当たり前になったが一般人目線で見るとやはり特殊な設定だ。それらの特殊設定持ち作品を世に出すのにエロゲーは便利な媒体だった。何も知らない一般人が手に取ることはないし、エロゲーをやるような層は特殊設定に耐性がある。だから奇異な世界観の先にある物語をちゃんと読み込んでくれる信頼があるのだ。
 私が東方の二次創作と似通っていると感じるのは特にこのあたりで、たとえばキャラが四肢切断されたり、首が吹っ飛んだりといったシーンが途中挟まれても、ほとんどの読み手は「作者が書きたいのはこの先にある別の何かなんだろう」と感じながら読み進めることができる。残虐シーンがノイズにならないのだ。
 東方の二次創作にグロが多かった理由は、東方という「特殊設定を受け入れてくれる舞台」と「特殊設定の先にある物語を読み込んでくれる観客」が揃っていたおかげで、本当に書きたかったものを、書き手が世に出せていたからだと私は思っている(本当に私個人の考えなので、これが正解ではないんだろうけど)

秘されるに値するもの

 ここまでで東方のグロ要素の多さを「舞台」と「観客」が揃っていたからだ、と私は結論付けたが、もう一個思い当たる理由があって、それは「インターネットの閉塞性」にあったんじゃないかとも考えている。

 さきほど東方・エロゲを例に挙げたが、同じくらい賑わっていたジャンルの少年漫画系やアニメ系の二次創作は、逆にグロ要素はかなり少なかった。原作媒体がどれであろうと、二次創作をする場はインターネットであるためそこは東方・エロゲと同じなわけなのだが……。
ここら辺は「原作の主軸がインターネットにあるか否か」の違いがあったんじゃないかと思っている。

 一昔前のインターネットは、今より閉塞性が強かった。一般人がスマホで気軽にアクセスできるような場所ではなかった。PCを持っている人しかアクセスできず、しかも当時PC所有者であっても仕事のために持っている人がほとんどで、趣味のためにネットサーフィンする、という人はなかなかに少なかった。
 キッズ時代の自分はそんな風には感じず、まるでインターネットに全人類が揃っているような気がしていたのだが、スマホが普及してからのネット人口の増加と変わりようを見ていると、あの時代は本当に、一握りの人しかいなかったのだろう……と思えてくる。
 そして「限られた時間にしかアクセスできない」ことも閉塞性を助長させていたはずだ。現代は信号待ちの間にスマホでSNSを開く、ということができるけど、当時のオタクは帰宅して自室でPCを立ち上げることでようやくネットの世界に行ける……という人がほとんどだったはずだ(実際自分もそうだった)
 自室という安心できるテリトリーでのみアクセスできる、厳選された一部属性の人としか関わらない世界、と書けば、インターネットの閉塞性がなんとなく感じられるんじゃないだろうか。こういう世界で生まれ、育っていったものが、一般人も目にするような雑誌・テレビで連載されていたものと同じくらいの健全さを保てるか?というと答えは「NO」だと思う。

 怪談や都市伝説めいたことを言うけれど、秘されたものは、秘められるに値するものに変貌していく閉塞的なインターネットで発展していったものは、閉塞されるにふさわしいものに姿形を変えていったんじゃないかと私は考えている。
 もう卵が先かニワトリが先か……のようなめちゃくちゃな理論であるとは自分でも思うのだが、「あの頃のインターネットを知っている人」からすると、「まあ言いたいことは分かるよ」くらいには納得してもらえると思う(本当にそうだろうか?)

 スマホの普及によって、この閉塞性が失われると同時に、東方二次創作のエログロ性もどことなく薄まっていったな……と最近になって思う。ネットのメイン会場が個人サイトからSNSのようなオープンな場所へと移り変わっていったのだから、この変化は正直妥当ではある。
 ただ、このエログロ性が完全に失われたわけでもない。今もインターネットの片隅には、かつて生み出されてたそういった二次創作たちが残っているし、それらが保管される場所を、今も残そうと尽力してくれている人たちがたくさんいる。
 もしかしたら今もインターネットのどこかには、私の知らない秘匿された場所があって、そこで育ちつつあるコンテンツがあるとすれば、それは東方と同等の、もしくはそれ以上に陰鬱さやエログロさを含んだものが形成されていくのかもしれない。