アークナイツ期間限定イベント「空想の花庭」感想

12月21日からスタートした、アークナイツの期間限定イベント「空想の花庭」を読み終わりましたので、感想を書いていきます。

目次

ストーリーの概要

ストーリーのきっかけは、長らく消息を絶っていた可動式大型施設「アンブロシウス修道院」から、ラテラーノへ救援要請が送られてきたことです。この救援要請はストーリー開始の一ヶ月前には送られてきており、その際ラテラーノは特使を二人派遣しました。それがレミュアンオレンです。

しかしその二人からの連絡が途絶えたため、ラテラーノはフェデリコインサイダースプリアの三名を追加で派遣しました。ここまでが物語の導入になります。

アンブロシウス修道院では、さまざまな種族が共に暮らしています。その中でも特徴的なのが、サルカズサンクタが共生していることです。

サルカズとサンクタは長年の歴史の中で争い合っており、サンクタの出身国であるラテラーノでは、サルカズの出入りが禁止されているほどです。

今回、アンブロシウス修道院からラテラーノへ救援要請がなされたということで、修道院側が望むのであれば、住民をラテラーノ国内に受け入れることもできます。

ラテラーノ国内であれば、サンクタは一定の権利を保障され快適に暮らすことが出来ます。今のアンブロシウス修道院は慢性的な飢えと貧困に悩まされているため、本来ならば喜んでもらえるだろう提案です。

しかしその場合、共に暮らしていたサルカズたちは、ラテラーノ国内に連れていくことはできません。彼らを荒野へ追い出し見捨てることになります。それは受け入れられない、という住民側の主張が、今回特使二名の連絡が途絶えた原因でもあるようです。

レミュアンが提示した「サルカズを除いた住民のみをラテラーノへ受け入れる」という条件は、修道院に暮らしていた住民たちの間に亀裂をもたらしたようです。

しかしレミュアンの介入以前から、修道院内は飢えと貧困により不穏な空気が漂っていました。余裕のない生活から関係がぎくしゃくとし始めていたのです。

歴史的な因縁や、サンクタにだけある「共感能力」などの肉体的・精神的な違いが、その亀裂をより深くしていきます。

フェデリコ含む三名が修道院に踏み入ったのは、そんな時でした。

大まかな感想

このイベントの評判について、TLで散々「後味が悪い」「明確な悪役がいないのがより悲惨になっている」という感想を目にしまして、身構えながらプレイしました。

しかし実際には、その予想を少し外れていたような気がします。

私の印象としては「登場人物全員が善性を持っていたために、最悪の結末だけは逃れることができた」話に思えます。

バッドエンドになりうる可能性をいくつも秘めていたけれど、ビターエンドもしくはトゥルーエンドにどうにかこぎつけることができた、という感じです。

アークナイツのお話としては、救いがある方ではないかと思えます。

このイベントストーリーに登場するキャラたちは、それぞれが善性を保って行動しています。個人の幸せだけを渇望するのではなく、みんなで幸せになるためにはどうするべきなのか、全員がそれを考えています。

それなのになぜ、事態は好転しないのか?

住民全員が食糧を節約しているのに、お腹いっぱい食べられる日が来ないのは何故なのか。危険な源石鉱脈まで行って燃料を持ち帰り、余った布をかき集めて服を繕っているのに、冬の寒さを十分にしのぐことができていないのは何故なのか。一緒に過ごしてきた仲間を見捨てずに、共に楽園へ行きたいだけなのに、どうしてそれがこんなにも難しいのか。

終盤でストーリーに現れて、場をかき回したオレンでさえ、彼の行動指針は「国家のため」です。全員がこの状況が好転することを何よりも願っています。明確な悪役は存在しません。誰かを殺して解決する話ではないです。

その苦悩が、今回のストーリーで何度も強調されています。

私たちはかくも誠実に、懸命に生きています。本当に不思議です。あらゆる物事が、より良い方向に変わるべきなのは、当然ではないでしょうか

一体いつからなのかは分かりませんが、どうやら私は未来へ憧れを抱くだけの気力を失ってしまったようです。

フェデリコの存在

今回特に輝いていたのが、異格実装されたばかりのフェデリコ(イグゼキュター)だと思います。

彼は合理性を何よりも重視し、ロボットのような言動をする人物ですが、今回のイベストではそれが良い具合に働いてくれました。

住民が隠していることを本人の前で言い当てる、種族隠しのフードを無理やり外す、住民同士の不信が高まっている中で放火の容疑者推測をずけずけと言い放つなど、配慮に欠いた行動は確かにありました。

しかし閉塞的な環境、人種対立、終わらない貧困が絡み合ったこの修道院に、無理やり踏み込んでいくには彼くらいの強引さがないと無理だろうなと思わせてくれる、プレイヤー視点から見れば痛快な切り口でもありました。

「あなたは先ほどからずっと、横の集落に通じる道の入り口をふさぐように立っていますね」

「──!」

「意図的に我々の視線を遮っているようです。見られたくないものがあるのでしょう」

この辺りとか、いつものドクター&ケルシーコンビなら、隠し事を察したうえで「いま彼らを刺激するのは危険だ。頃合いを見て他のオペレーターに調査を任せよう」と言ってプレイヤーが忘れた頃に集落の状況がようやっと分かるくらいにはなってると思う。

アークナイツお決まり(?)描写として、今回も長きにわたる人種差別や因縁についての問答ターンが挟まれます。これはこれでアークナイツの特色とも言っていいものなのですが、この問答は数世紀続いてる因縁な為個人の手で解決するわけもない、いうなれば論破不可能な話題なために、結局はこのターンでどうしてもストーリーがダレるんですよね。

ただし今回のイベストに限っては、フェデリコが話題を終始強制終了させていたために、ストーリーがどんどん進んでいってくれたのが本当にありがたいです。

通常であれば1パート丸々使って1,000字くらい会話されてただろこれ……というシーンもあっただけに快適さがすごいです。

それぞれの思惑

ストーリー中、複数人のキャラが不審な動きを見せており、プレイヤー目線で嫌疑がかかります。

その不審な動きが、悪い状況をもたらしてしまいそうなものばかりで、それに対する不安と緊張感を一定に保ったうえでストーリーが進んでいくこととなりました。

しかしその疑いの行方は、アークナイツのストーリーとしては割と珍しい着地をしたように思えます。

悪い方に転んでしまいそうな事態(疑惑)について、覚えているだけでも

・喧嘩のはずみで、住民が同族殺しをしてしまうやってきたばかりの余所者に嫌疑がかかるかと思えば、犯人はすぐに自主

・シーボーン化した母親が理性を失って子供たちを食い殺すのでは変異前に交わした約束を果たして静かに彼らのもとを去る

・司教が海の怪物の肉を信者に食べさせて、全員をシーボーン化させるかもしれない直前で踏みとどまった

があります。

以上のこれら全てが、登場人物たちが善性を失わず、理性を保ち続けていたおかげで回避された悲劇な気がしてきます。

これは珍しい展開だと思います。アークナイツ内においてこういった悲劇の種は、往々にしてロドスの尽力虚しく、大地に芽吹き惨劇を引き起こすからです。

そこが今回のイベストの異端さに拍車をかけているような気がしました。

嫌疑は住民側だけでなく、味方陣営にもかかります。

実は今回、消息を絶っていたはずのオレンはある思惑があって姿を隠していただけでした。

修道院の外に特殊部隊を待機させ、一斉に突入させることでサルカズ勢力の鎮圧(おそらく殺害)を目論んでいたようです。そしてスプリア、インサイダーは、オレンの存在に気づきながらもそれをフェデリコには伏せたまま話が進んでいきます。

この「特殊部隊で武力鎮圧するか否か」については、ストーリー終盤まで意見が揃いませんでした。フェデリコとインサイダーを除いた特使3名で問答をするも、堂々巡りで収まりません。

そこに仲裁と言いますか、ぶった切ってくれたのがやはりあのフェデリコになります。

ラテラーノ公証人役場の執行人フェデリコ、発砲音によって警告いたします。レミュアン・オレン及びスプリア。直ちに無意味な争いを停止してください。私にあなた方の立場を理解する義務はありません。あなた方の衝突の調停も同様です。

発砲音は外の特殊部隊に対する警告でもあります。オレン、秘密裏に動員したのはあなたなのですから、責任をもって指揮してください。今すぐ部隊を後退させ、一時待機を命じてください。レミュアン、スプリア。あなた方はこれまで、こちらのサンクタやサルカズと比較的多く接触していましたね。今後、彼らの精神状態を安定させ、事態の悪化を防止する役割はあなた方に任せます。

(中訳)

それでは、行動開始。

ここで、フェデリコがこの事件解決に任命された必然性が感じられたのが良かったです。強引な手口で切りこんでいるシーンばかりだなという印象がありましたが、このシーン以上に彼がこの場にいてくれて安心した場面はありません。

異格プレイアブルとして2度目の実装をされ、イベントストーリーのメインに宛がわれた側としては、かなり良い見せ場を貰えたのではないでしょうか。

善意の循環

ストーリーについて、「登場人物全員が善性を持っていたために、最悪の結末だけは逃れることができた」と書きましたが、それがもっとも顕著なのが、終盤のクレマンであると思います。

彼は絶望の果てに、海の怪物の肉が混ぜられたパンを食べました。普通であればシーボーン化し、見境なく人を襲うはずでしたが、彼の理性(もしくは善性)によって、その異形化に打ち勝つことが出来ました。

しかしその後、彼は聖像の手に抱かれたまま死亡します。

このイベントストーリーにある陰鬱さは、おそらくこのクレマンのように「最悪の結末を回避させることが出来た本人が、死亡するか大切な何かを喪うかしている」せいだと思います。

クレマンが死亡した後に、双子の子供がやって来て、彼は眠っているのだと勘違いします。そしてもう戻ってくるかも分からない母親がくれた毛布を、彼にかけてあげます。

「サラ、なにしてるんだよ? それ、ママがぼくたちにくれた毛布じゃないか!」

「けど、こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ……」

「ママが言ってたもん。良い子はカンジャの気持ちを表すことを覚えなきゃいけないんだって」

「感謝でしょ。じゃあ、ひとまずおじさんに貸してあげよっか!」

クレマンは、他の住民と同じように、町の子供にはつらい思いをさせないよう気を配っていました。

少し余裕がある時は、ニーナおばさんがこどもたちにお菓子を作ってあげていたものです。(中略)ニーナおばさんはいつもこうおっしゃっていました。私たち大人が苦しむのは仕方がない。だけど子どもたちが「苦い」味しか知らないのはダメなんだと。

彼の善意が、回り回って彼自身に返ってきた形になります。しかし彼は既に死亡し、双子の優しさを感じ取ることもできません。

もし彼が生きているうちに、双子が毛布を掛けてあげていたら、絶望してパンを食べることはなかったのでしょうか? それはないと思います。彼はあまりにも多くのものを喪い過ぎていますから。

まとめ

今回のイベントストーリーは、アークナイツの中でもかなり分かりやすく、また面白い内容だったと思います。

種族間の歴史や対立がたびたび出てくる話ですが、主な舞台は閉塞的な修道院内であり、犯人の分からない不審火や、誤って親友を殺してしまうなど、サスペンス&パニックホラー的な面もありました。

そこに、フェデリコの異様なほどに合理的で真面目な性格がかみ合って絶妙な痛快さを作っています。

サンクタの信仰に関する認識も、とても興味深かったです。

ストーリーの最後に、司教は自身のことを「罪人」と呼び、自身の信仰を見つめ直すために巡礼の旅に出ると言いました。自身の「ラテラーノ」を見つけ直すことが出来たのなら、ラテラーノへ帰ると言い残します。文中では、彼のような老体では無事に戻ってくることは難しいとありました。

現代人の私からすると、最終的には思い直し道を誤らなかった司教に、罪は無いと思います。しかしレミュアンとの会話を見ても、サンクタ的には私の考え方の方が不適切であるようです。これは司教という立場故のこともあるかもしれません。

しかしこれは、司教と私個人の思想の違いというより、サンクタとそれ以外での信仰の考え方の違いなのかもしれません。

サンクタの共感能力が、サンクタ以外の種族には想像もできないのと同じように、信仰もそれと同じようなものなのでしょうか。

今回、フェデリコはさまざまなことに疑問を抱くようになりました。

執行人として、原因を処理することが正解となる任務ばかりこなしてきた彼にとって、今回の「誰も悪くない」状況で自分はどうするべきだったのか、考え直す機会になったようです。

今までの任務の中で、彼が行動の指針にしてきた独特な思考回路や行動原理は、イベントストーリーのことも含めると彼なりの「信仰」の対象であったのかもしれません。

今まで信じてきた「信仰」が揺らいできた彼がどう変化していくのか、異格イグゼキュターのプロファイルやボイスを追ってみたいです。

そして余談になるんですけど、

今回新しくなったレミュアンの立ち絵、かなりお気に入りです。

意図してのものかは分かりませんが、彼女の白い手が特に目を引く構図と色遣いになっているのがとてもとても好きです。

彼女のどこか浮世離れした、超然とした雰囲気が現れていて素敵だと思いました。

ではこれで終わりにします。

ひさびさに濃厚なアークナイツを感じられて良かったです。

それでは。